『1Q84』の解釈・感想

*この記事は村上春樹氏の小説『1Q84』に関する物語のあらすじ・核心に触れますので、知りたくない方は御注意ください。

『1Q84』を一応2度程読んだ。(「一応」と書いたのは2度目は多少細部を飛ばしたからだ。)
まず感想を素直に言えば「非常に面白かった」。
ここまで読み手を飽きさせることなくグイグイと引きつける小説は少ないと思う。
ただかなりの疑問・何を指し示しているのかわからないところ、があったので、出来る限り自分で考え解釈してみたい。
もちろん小説として書かれたものを違う言葉で解釈するのには限界があるだろうし、村上氏にも何か明確な意図があって書いたわけではないかもしれない。
ただ彼の言葉を借りるとすれば「僕には『1Q84』を解釈して、それを違う言葉に置き換えざるを得ない」のでやってみることにする。

方針
①出来る限り『1Q84』に書かれていることのみから根拠付け類推し解釈する。
(もちろん過去の村上氏の小説、読者とのメールのやりとりをまとめた本は何冊も読んだのでそれに考えがいくらか影響されてしまうとは思うのだけれど。)
②出来る限り曖昧な表現はなくす。

・まず登場人物の関係図

春樹 図4

・1Q84とは

Qはquestion markのQだ。疑問を背負ったもの。BOOK1 P202

見かけにだまされないように。現実というのは常にひとつきりです。BOOK1 P27

ここはパラレルワールドなんかじゃない(中略)1984年はもうどこにも存在しない。君にとっても、私にとっても、今となっては時間といえばこの1Q84年のほかには存在しない。BOOK2 P271,272

1Q84年は切れば血の出る現実の世界なのだ。BOOK2 P337

月は二つ浮かんでいる。(中略)しかしここにいるすべての人に二つの月が見えるわけではない。(中略)今が1Q84年であることを知る人の数は限られているということだ。BOOK2 P272

ドウタが目覚めたときには、空の月が二つになる BOOK2 P412

以上のことをまとめると
少なくとも天吾と青豆にとっての現実世界は1Q84年である。
そして1Q84年であるということは月が二つある、つまり自らのドウタが目を覚ましたということである。(青豆などにとって月は片方がいびつな形なのでドウタはまだ目覚めかけとも考えられる。)
より1Q84年には自らのドウタが目を覚ました人のみが存在すると考えることができる。
タマルなどにとっては月は1つにしか見えないのでタマルのドウタは目を覚ましておらず、1Q84年でなく1984年に生きると考えられる。

・ドウタ、マザとは

(ドウタとは)生きている影のようなものだ。BOOK2 P278

(空気さなぎの中を指して)そこにいるのは君のドウタだ

そしてキミはマザと呼ばれる

ドウタはマザの代理をつとめる

ドウタはあくまでマザの心の影に過ぎない

(ドウタは)パシヴァ(知覚するもの)の役目をする

知覚したことをレシヴァ(受け入れるもの)に伝える

マザの世話なしにドウタは完全ではない。長く生きることはむずかしくなる。

ドウタはわれら(リトル・ピープル)の通路になるぞ

BOOK2 P411,412

つまり1Q84年を生きる者はドウタが空気さなぎから目を覚まし自分とは離れてしまう、つまり知覚することを失っていると考えられる。
青豆もやはりそのドウタと離れ離れであったことがわかるので、知覚することを失っている、損なわれた人間だとわかる。
こう考えると天吾もそのドウタと離れているはずなのだが、ふかえりがパシヴァの役割をはたすことによって失われずに済んでいる。

ただ疑問が2点残る
①ふかえりはドウタを失っているのになぜ天吾のパシヴァができるのか
②天吾の空気さなぎの中に青豆のドウタが入っている意味はなんなのか

・リトル・ピープルとは

この現実の世界にはもうビッグ・ブラザー(ジョージ・オーウェルの小説『1984』における全体主義の独裁者)の出てくる幕はないんだよ。そのかわりに、このリトル・ピープルなるものが登場してきた。
(中略)
リトル・ピープルは目に見えない存在だ。それが善きものか悪しきものか、実体があるのかないのか、それすら我々にはわからない。しかしそいつは着実に我々の足元を掘り崩していくようだBOOK1 P422

でもリトル・ピープルもそれにまけずふかいちえとおおきなちからをもっている。もりのなかではきをつけるように。だいじなものはもりのなかにありもりにはリトル・ピープルがいる。リトル・ピープルからガイをうけないでいるにはリトル・ピープルのもたないものをみつけなくてはならない。BOOK1 P536

それ(リトル・ピープル)がいつも形を持ち、名前を持つとは限らない。BOOK2 P274

リトル・ピープルが力を発揮し始めたとき、反リトル・ピープル的な力も自動的にそこに生じることになった。BOOK2 P274,275

リトル・ピープルはわたし(さきがけのリーダー)を失うことを恐れている。なぜなら彼らにはわたしの存在がまだ必要だからだ。わたしは彼らの代理人としてきわめて有用な人間だ。BOOK2 283

「空気さなぎを作って遊ばないか」とテノールのリトル・ピープルが言った。BOOK2 P403

彼ら(リトル・ピープル)はマザである少女には直接手を出すことはできないらしい。そのかわりまわりにいる人間に害を及ぼし、滅ぼすことができる。(中略)彼らはもっとも弱い部分を餌食に選ぶ。(中略)こうなったのも、もとはといえばキミのせいなんだぞ、と彼らは告げているのだ。BOOK2 P416

これらの文だけからリトル・ピープルが何であるかを断定するのは非常に難しいし、危険である。
しかし

・リトル・ピープルがドウタをマザから離れたところ(空気さなぎの中)に作る。
・1Q84年にはドウタと離れた人が存在する、すなわち青豆と天吾も何らかの形でリトル・ピープルによってそのドウタと離れた。
・青豆は幼い頃の「証人会」、また親友の環が身勝手な夫により自殺したことによって、何かが損なわれた。天吾は幼い頃父親に連れ回されたNHKの集金と母親のトラウマによって、何かが損なわれた。

を踏まえれば僕はこう推論できると思う。

リトル・ピープル=弱い心を持った大衆の歪んだ総意

であると。
こう考えると

・ビッグブラザー(独裁者)との対比
・ひとりでいることはない、名前を持つとは限らない

などにもに合致するし

・「さきがけ」(山梨県、本栖湖、リーダーの超能力というキーワードよりオウム真理教をモチーフにしていると思われる)、「証人会」(その名前、輸血の禁止よりエホバの証人をモチーフにしていると思われる)
・NHKに代表されるマスコミ

などがリトル・ピープルの声を代表しているのだという筆者の主張だと考えることも出来る。
ただ大事なことは

こうなったのも、もとはといえばキミのせいなんだぞ、と彼らは告げているのだ。

つまりもちろん我々一人ひとりもリトル・ピープル的なものの原因になっているということだと思う。

以上をまとめると

弱い心を持った大衆は宗教やマスコミなど様々な形をとって僕らの知覚を蝕む。しかしもちろん大衆それ自体は善でも悪でもないし、僕らもその一部であり原因を持っているのだ。

・村上氏の提案する解決策

「愛がなければ、すべてはただの安物芝居に過ぎない」BOOK2 P289

「もっとも歓迎すべき解決方法は、君たち(青豆と天吾)がどこかで出会い、手に手をとってこの世界を出ていくことだ」BOOK2 P283

リトル・ピープルからガイをうけないでいるにはリトル・ピープルのもたないものをみつけなくてはならない。BOOK1 P536

lunaticというのは月によって、つまりlunaによって一時的に正気を奪われること。BOOK1 P551

これに対し村上氏は「愛」を持てと言っているのだと思う。
1Q84年では人々はlunaticになっているだけで、本質的に狂っているわけではなく打開策があるのだ。
それが「愛」だ。
ものすごく簡単に書いてしまったが、本当にそういうことなのだと思う。
青豆と天吾にはそれができるのだ。

・残った疑問と続編への期待
上述したように、まだ『1Q84』には疑問がいくつか残る。細かいところをつけばまだまだある。
それに結局青豆はドウタと離れ離れだし(天吾にはふかえりがいるのでいいかもしれないが)、二人が出会っていない以上「愛」によってリトル・ピープルからガイを受けないに至っていない気がする。
なにより1Q84年から1984年に戻らなくてもいいのだろうか。

ただし『1Q84』は上下巻でなくBOOK1<4月-6月>、BOOK2<7月-9月>となっているので続編が出る可能性はあると思う。期待大である。

・蛇足
今現在の我々の世界も言うなれば200Q年である。
「愛」の欠如によってリトル・ピープルが騒ぎ出し、僕らのパシヴァはリトル・ピープルの通路になってしまっている。
本当の「愛」を見つけて、200Q年から2009年に戻さなくてはいけないのではないだろうか。


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33件のフィードバック

  1. [読書]『1Q84』の感想(ネタバレなし)

    1Q84(1) 作者: 村上春樹 出版社/メーカー: 新潮社 発売日: 2009/05/29 メディア: 単行本 1Q84(2) 作者: 村上春樹 出版社/メーカー: 新潮社 発売日: 2009/05/29 メディア: 単行本 まず、この作品をこれから読もうとしている人へ向けて。BOOK1の三分の二あたりまでは(恐らく

  2. もんなか より:

    まだ流し読みしかしていないのですが、素晴らしい分析だと思います。
    後でじっくりと腰を据えて読もうと思います。
    恥ずかしながら、トラックバックも送信させていただきました。

  3. ウォーストン より:

    とても共感できる解釈でした。リトルピープルに関しては全く同意見です。

    天吾の空気さなぎの中に青豆のドウタが入っている意味はなんなのかというところですが、天吾の空気さなぎかどうか私には判断が難しいです。その空気さなぎが消えてしまうという部分でも、ちょうどその時に青豆が拳銃自殺することなのかもしれません。また、父親のベッドに現れたというところも少し気になる部分があります。

    また、天吾がさきがけのリーダーと同じような状況でふかえりと交わるという箇所も気になりました。

    もう少し経ったら私も読み返そうと思っていますが、
    天吾の母親のことなどもどこかで繋がっているようなほのめかしがあるようにも思われます。

    また、この作品は以前より村上さんの作家ステートメント的な要素が強いようにも感じられました。以前の「僕」≠村上春樹というかたちとは少し違い、小説世界自体が村上氏の内部のシステムを色濃く反映しているようにも思われます。

  4. mic より:

    > もんなかさん
    トラックバックありがとうございます。

    もんなかさんの記事も拝見させていただきました。
    「家族関係への言及」と「コミットメントへの移行」の関係など面白いと思いました。
    恥ずかしながらまだ「アンダーグラウンド」と「約束された場所で」が未読ですので、私も読む必要性を感じました。

    あともんなかさんが貼られたURLを踏んでも記事に飛べないのですが、URLあっていますかね?
    monnaka.org はてなダイアリーで検索したらいけましたが。

  5. mic より:

    >ウォーストンさん

    コメントありがとうございます。

    >天吾の空気さなぎかどうか私には判断が難しいです。

    これに関してはBOOK2 P496に「おそらくそれは[太字]彼自身[/太字]の空気さなぎなのだ、と天吾は直感的に判断した」とありますので、そう解釈してよいように思えます。

    >また、父親のベッドに現れたというところも少し気になる部分があります。

    これが実は私も気になりました。
    今考えると「父親=天吾の空気さなぎを作ったリトル・ピープルの一人」の暗示かとも思います。

    > また、天吾がさきがけのリーダーと同じような状況でふかえりと交わるという箇所も気になりました。

    この部分私もかなり気になります。
    村上春樹氏の小説において「性行為」の意味づけを他の小説から考えようとも思いましたが、行き過ぎた推測になると思われましたので止めておきました。

    > また、この作品は以前より村上さんの作家ステートメント的な要素が強いようにも感じられました。以前の「僕」≠村上春樹というかたちとは少し違い、小説世界自体が村上氏の内部のシステムを色濃く反映しているようにも思われます。

    たしかに!この御意見非常に共感できます。

  6. mic より:

    > もんなかさん

    > あともんなかさんが貼られたURLを踏んでも記事に飛べないのですが、URLあっていますかね?
    > monnaka.org はてなダイアリーで検索したらいけましたが。

    すいません、ちゃんと飛べました。

  7. ウォーストン より:

    >これに関してはBOOK2 P496に「おそらくそれは彼自身の空気さなぎなのだ、と天吾は直感的に判断した」とありますので、そう解釈してよいように思えます。

    あ、失礼致しました。そうですね。

    また、私の先の書き込みの「その空気さなぎが消えてしまうという部分でも、ちょうどその時に青豆が拳銃自殺することなのかもしれません」という箇所も少し雑な解釈のように思えてきました・・・。申し訳ありません。

    村上春樹小説においての性行為というものからの解釈を保留されているということですが、わたしも保留中です。わたしには、以前の「あちらとこちら」へのきっかけ、というには今回の作品では「あちらとこちら」というものがもう少し有機的なつながりに感じられました。性行為についての役割もそれに合わせて少し変化しているように思いました。

    長々とコメント、申し訳ありませんでした。

  8. mic より:

    >ウォーストンさん
    > 村上春樹小説においての性行為というものからの解釈を保留されているということですが、わたしも保留中です。わたしには、以前の「あちらとこちら」へのきっかけ、というには今回の作品では「あちらとこちら」というものがもう少し有機的なつながりに感じられました。性行為についての役割もそれに合わせて少し変化しているように思いました。

    そうですね、『1Q84』では天吾とふかえりがお互い欠けたものとして一つになるために性行為をした一方で、リーダーともしているわけで・・・ここが難しいですよね。

    > 長々とコメント、申し訳ありませんでした。

    いえいえ、これからもよろしくお願いします。

  9. ミ酉 より:

    学校さぼって読み終わりました。
    Book1のおわりからBook2の半分くらいまでの勢いがすごいわ。最後の方はわりと落ち着いた感じがする。続編でそうな気もするが、青豆さんは・・・?笑

    さて、一読なんで雑なこと書いても許してね。

    リトル・ピープルの考察はmicの考察が正しいと思う。彼らのいる「もりのなか」ってのが(海辺のカフカでそうだったように)心の深い部分のことかな、と思ってる。ただ、ギリヤーク人と森と道路のくだり読んでるとそれだけでいいのかな、とも思ったり。

    micの考察読んで思ったのは、空気さなぎから出てくるのはドウタとは限らないんじゃないかな。(三匹の蛇が出てきたり、犬が爆発したり。小説の中でふかえりはもう一回空気さなぎを作ってる。)空気さなぎは心の底の像を具現化させる、それがドウタかどうかはまた別問題ていうのが俺の印象。

    二つの月は小説世界ではマザになったしるしだけど、現実世界では反リトル・ピープルムーブメントととして物語世界に引きずり込まれた主要人物のしるし、というだけな気がする。

    個人的にはBOOK2の19章での青豆の考察が気になる。ドウタには生理がこないなら、ふかえりに生理がないのは別の原因があるのか。多義的に交わるのがドウタと交わることなら、天吾と交わったふかえりはなんなのか。実は天吾といるふかえりはドウタでした!!みたいなことはない気がするけどな。

    飲もうぜ。

  10. mic より:

    > micの考察読んで思ったのは、空気さなぎから出てくるのはドウタとは限らないんじゃないかな。(三匹の蛇が出てきたり、犬が爆発したり。小説の中でふかえりはもう一回空気さなぎを作ってる。)空気さなぎは心の底の像を具現化させる、それがドウタかどうかはまた別問題ていうのが俺の印象。

    たしかに。
    ふかえりの場合はたまたまそこにドウタがいたと。
    だから天吾の空気さなぎの中に青豆のドウタがいてもそれはそれでよいと。

    ふむ、じゃあ空気さなぎって何の象徴なんだろう・・・。

    > 個人的にはBOOK2の19章での青豆の考察が気になる。ドウタには生理がこないなら、ふかえりに生理がないのは別の原因があるのか。多義的に交わるのがドウタと交わることなら、天吾と交わったふかえりはなんなのか。実は天吾といるふかえりはドウタでした!!みたいなことはない気がするけどな。

    「多義的に交わる」がホント謎というかよくわからんかったのよね。
    天吾といるのがふかえりのドウタってのはありえると思う!
    パシヴァだし、セックスしてもニンシンしないって言ってたし、
    BOOK2 P417で自分がドウタといつの間にか入れ替わったのではないかって不安になってるし。

    > 飲もうぜ。

    「いいぜ」とmicが言った。
    「ほうほう」と残りの六人が言った。

  11. sarusine より:

    私はまだこの本を読んでいません。しかし、アフターダークや東京きたん集(アフターダークは昨年の年末、東京きたん集はつい先日)を読み、そして、1Q84の書評をNETで読み、村上氏が試みようとしてくれているコトが、分かりました。村上氏は被害者の味方であると、確信しました。
    アフターダークでTVの向こう側にいる薄汚い老人、品川猿、そして、動く腎臓、TVピープル(実はまだ読んでませんがNETで少し読めた)、私にとってすべて個人的に切実に、日々なんとなく気味の悪い、恐怖の存在でした。TVドラマに登場する名前、性格、職業、趣味、なんでこんな偶然が起こるんだろうと、ずっと、不思議でなりませんでした。
    これは実際に起こっている現実。
    そう、確信しました。
    以前、学生時代にニューエイジ(?)的(?)な知人が存在しました。奇怪な宗教の代表者達のパーティーに、本当に偶然参加することになり(音楽会の後、同じ会場の一室で行われた会合で、軽食が出るから寄ってみる?と誘われた)、真顔でナントカ星の宇宙人ナントカから交信があって・・・等の情報を交換した後、皆がせっせと名刺交換をしている姿を見て、一緒に同席した友人とおかしがった経験があります。
    冗談抜きで、人権侵害も甚だしい、この国では、とんでもないコトが起こっていると、村上春樹氏の小説を読み、確信に至りました。
    助けてください。

  12. mic より:

    こんにちは。コメントありがとうございます。
    いくつかわからないところがあるので聞いてもいいですか?

    >なんでこんな偶然が起こるんだろう

    これは具体的にどのようなものですか?「こんな」は何を指すのでしょうか?

    >以前、学生時代にニューエイジ(?)的(?)な知人が存在しました。奇怪な宗教の代表者達のパーティーに、本当に偶然参加することになり(音楽会の後、同じ会場の一室で行われた会合で、軽食が出るから寄ってみる?と誘われた)、真顔でナントカ星の宇宙人ナントカから交信があって・・・等の情報を交換した後、皆がせっせと名刺交換をしている姿を見て、一緒に同席した友人とおかしがった経験があります。
    > 冗談抜きで、人権侵害も甚だしい、この国では、とんでもないコトが起こっていると、村上春樹氏の小説を読み、確信に至りました。

    人権侵害、とんでもないコト、というのはそのパーティーに対して言っているのですか?
    それとも村上氏の小説にでてくる別のことに対してですか?

  13. 212 より:

    始めまして、212といいます。
    1Q84読了後、まだ上手く考えがまとまらずに
    いろんな方の考察を読んではナルホドと思っています。

    micさんの考察もとても興味深く面白かったです。
    リンク貼っておくので、よければ僕のブログにも遊びに来てください。

  14. mic より:

    こんにちは。
    コメントありがとうございます。

    212さんのブログも拝見させていただきました。
    『1Q84』の感想で
    『“本当に怖い人達”の存在。流される人の存在。』
    と書いているところが僕はかなり共感できましたねー。

  15. リリカ より:

    初めまして。

    >弱い心を持った大衆は宗教やマスコミなど様々な形をとって僕らの知覚を蝕む。しかしもちろん大衆それ自体は善でも悪でもないし、僕らもその一部であり原因を持っているのだ。

    >これに対し村上氏は「愛」を持てと言っているのだと思う。

    この二点に深く同感します。
    読了後、映画「フィフスエレメント」を思い出してしまった私です。

  16. mic より:

    こんにちは。コメントありがとうございます。
    ブログ拝見させていただきました。

    >だからこそ、ラストで二人は会う必要があったのだと私は思う。強く思う。

    とありましたが、私も出会ってほしと思います。
    続編が出るといいんですけどね。

    『フィフスエレメント』見たことがないので見ますね!

  17. red poppy より:

    はじめまして。

    僕も1Q84読み終えた今も暇さえあれば、あれこれとひとり考察していまっています。mickさんの解釈拝見させてもらい、僕の頭の中も随分整理された感じです。ありがとうです。

    最後の青豆のドウタは本当に意味深いですよね。ひとつ思ったのは、天吾父はほとんど「死」んでしまっている状態だったので、以前ふかえりが殺してしまった山羊と同じ状況なのかなぁと思いました。死んだ山羊を通路として出てきたリトルピープル。今回は天吾父を通路にして、空気さなぎを???

    わかりそうで、わからない事だらけな1Q84の後遺症が当分続きそうです。

  18. mic より:

    はじめまして。コメントありがとうございます!

    > 最後の青豆のドウタは本当に意味深いですよね。ひとつ思ったのは、天吾父はほとんど「死」んでしまっている状態だったので、以前ふかえりが殺してしまった山羊と同じ状況なのかなぁと思いました。死んだ山羊を通路として出てきたリトルピープル。今回は天吾父を通路にして、空気さなぎを???

    確かに類似点がありますね!
    ただ「空気さなぎ」が一体何なのかが僕の中でまだよく掴みきれていない状態です。

    > わかりそうで、わからない事だらけな1Q84の後遺症が当分続きそうです。

    ですね。個人的には続編を望みます!

  19. red poppy より:

    あらためて読み直してみると、ふかえりの中学時代の同級の男の子の時、いきなり空気さなぎ出てきてましたね。中身はドウタではなく蛇でしたが。だとしたら、別に通路うんぬんで天吾父のところに天吾の空気さなぎ出てきたわけではなさそうでしたね。中身は出てきてからのお楽しみという感じなのでしょうか?なんにしても、青豆、天吾、共に月が2つみえてるということは、彼らのドウタが出現したってことですよね。

    空気さなぎ。ドウタの場合もあれば、脆弱な部分を具現化する場合もあったりで、謎ですね。

    この感じだと、3に続く感じしますね。僕も楽しみに待ってます。

  20. あり より:

    はじめまして。分析、興味深く拝見しました。

    私が気になるのはふかえりが象徴するもの、あるいは彼女の特殊な能力とはなんなんだろうということです。そもそも、なぜこの子にはいろんなものが見えるのか(リトルピープルを含め)?

    みなさんと同意見で、Book3楽しみですね(もし続けば)。

    私には「メルセデスベンツの女」が次の青豆の引き受け手になるのではないかと思われてなりません。彼女以外の他の運転手たちには青豆ははじめから見えていなかったのでは。

    最後の天吾くんも「彼女が誰であっても」といってますよね。

  21. mic より:

    はじめまして。コメントありがとうございます。返すのが遅くなって申し訳ありません。

    > 私には「メルセデスベンツの女」が次の青豆の引き受け手になるのではないかと思われてなりません。彼女以外の他の運転手たちには青豆ははじめから見えていなかったのでは。
    >
    > 最後の天吾くんも「彼女が誰であっても」といってますよね。

    この部分はさらっと読み飛ばしていて、これには全然気がつきませんでした!
    なにかBOOK3が出る予感がプンプンしますねぇ・・・

    その前にもう一度BOOK1,2読んでみようと思います。

  22. より:

    なかなか鋭い読みですので謎解きヒントあげますね。現在の地点で青豆は間違いなくピープルの干渉から隔たった地点に移動してます。それを見事に証明するのが天吾に見える彼女のドウタ。彼女の象徴的な決別シーン 自殺シーンでなく 決別シーンです。ルールは変えられない 人はその存在以上になれない 天使になるには地獄に降りて悪魔に つまり過去青豆は天使になろうとしていました。そのせいで影の部分がより濃く彼女を支配していく つまり自ら歩く事を捨てた高速道路の人々状態です。その状態ではまた彼女も知らない誰かに苦痛もなく一瞬でやがて損なわれていくでしょう では、現代を生きる力学は?それはこの小説で青豆が証明してくれました。アフガニスタンの子供は可哀想。これは小説中真の意味において影の思想です。では、物語が語りうる光の思想は? それを現代の人間に証明したのが青豆の決別シーンです。これを基軸にもう一度トライしてみて下さい。全ての謎解きが可能です かなりいい線で理解してるので頑張って下さい ただ現実は村上春樹ごときの思考では変貌できません。抜本的にスタート地点が間違っているので 必要なのは文学でなく 自らの本能のみです。自らの人生なので 借り物の人生

  23. 大きな国で より:

    ジャガイモのアタマから 花へ・・

    ジャガイモを集中的に考えて
    花の仕事に着手する はずなのが 
    ジャガイモの残像が・・・邪魔をしていた。
    かなりあつく取り組んだ結果 なんでしょうね。

    ムラカミハルキの「1Q84」を読み終えることで
    疑問が 噴水のように 湧き出てきたので
    一体 どんな…

  24. 第8章【天吾】~知らないところに行って知らない誰かに会う~

    ・打算(ださん)・・・利害・損得などを考えること。・論争(ろんそう)・・・違う意見を持つ人が、それぞれ自分の意見を主張し、言い争うこと。・罵る(ののしる)・・・大声で非….

  25. リリカ より:

    初めまして。
    リトル・ピープルのことを考えていたら、こちらにたどり着き、同じようなことを考えている人に出会えた気がしてカキコミしています。

    >リトル・ピープル=弱い心を持った大衆の歪んだ総意

    私もそのようなことを感じていました。
    リンクを貼っていきますね。
    ずいぶん前の記事なので、読んでいただけるかどうかアレなんですが。

  26. 赤塚慎也 より:

    私は1Q84と
    ノルウェイの森が大好きです。
    村上春樹さんの作品は
    生きてると感じるような
    疑問があって
    話に、重みがあって
    愛があって深みがあって
    いつもその独特の世界に
    引き込まれています。

    まぁなんと言うか…
    私みたいな小娘が語っていい
    ものではないと思いますが…

  27. mic より:

    コメントありがとうございます。
    ノルウェイの森の感想なども書きたいですね。
    時間があれば村上春樹系のエントリーを増やそうと思います。

  28. みーむ より:

    100万部も売れている本の評価がここまで分かれるのも珍しいのではないでしょうか。
    コアファンの方はベタ褒めなのに対し、初読の方は何が言いたいんか判らないなど駄作評価。

    皆さんは、高評価なので村上春樹作品のファンなのでしょうね。他者の小説、文庫は数千冊は読んでいますが村上氏の本は1Q84が初めての作品です。単に今まで読みたいと思わなかっただけなのですけど、1Q84を読んで村上春樹の作品ってこんなもの?・・・残念ながら私は全く面白いと思えませんでした。

  29. ゆめ より:

    村上春樹作品を初見で少しネタバレご容赦。最初に言わせて頂く!読む価値は全く無い!読むなら図書館で借りなさい!
    簡潔に言うとSFを期待するとゴミ以下以上に「つまらない」。でも文章の読み易さは絶品で遥かに上手い!もし短編小説なら絶対な絶品と言える高評価で然るべき。ただし「1Q84」は絶対に駄作としか言えず「三文小説」以下。大人向け週間誌で毎週無駄にSEX描写される漫画と同じ事をやっている。
    最大の駄作として言わざる得ない事はストーリーが3部通して全く進まない!何故かと言うと各登場人物の周りの状況を無駄に詳しく描写しすぎ。つまり小学生が作文で文字数を埋める為にどうでも良い事を並べているのと同じレベル。例を挙げると食材を冷蔵庫から出した!包丁を使って刻んだ!それを盛り付けた!など延々とストーリーとは全く無縁で無駄は描写が多数発生する。しかも同描写が2度3度とコピペしたの?と言いたくなる文章もある。
    更に最悪なのが各登場人物が各個人の妄想を数ページに渡って延々と妄想する描写が更に多数発生する。つまり本編ストーリーの展開が殆ど発生しない。結論を言えば登場人物の現状況描写&妄想だけで3冊分の文章が7~8割は埋められているのではないか?と言いたくなるぐらい酷い。そして1984年が1Q84年とする肝であるSFチックな事は「月が2つある」だけで他にSFチックな事がない。敢えて言うなら「で?」「だから何だったの?」と村上春樹氏へ直接聞きたい。
    敢えてネタバレなので書かないが妖精「空気さなぎ」の説明が最後まで全く不明で上記に書いたように脳内妄想レベルでしかない上、一部の登場人物に至っては「行けなくなった」「会う事はない」とだけを説明して「何で?」と言う説明が最終章まで不明。更に「空気さなぎ」の存在を見たであろう女子高生の立ち位置の説明もいい加減で最後には「そんなのいたね」で読者からすれば「ふざけんなよ!」で完結させてしまった。
    村上春樹作品を初めて読んでみようと思う方には絶対にお薦めしない。数千冊を読破した私から言わせればこんな駄作が100万部も売れたとは信じられない。私は余程の暇になるか駄作を読みたくならない限り二度と村上春樹の作品は読む事はない。と言わせる作品でした。

    最後にもう一度言う!サクっと完結!ドップリと読みふける!サッパリと理解する!事を求めるなら絶対に読んではいけません。悪い事は言いません!恐らく100万部と言う数字に一番騙され、読破した小説の中で一番「はあ?」と感想を述べざる得ない駄作になるでしょう。

    P.S.
    そもそも、マザとドウタと言う世界から逃げたくて元世界に戻るつもりが自らマザとドウタの存在を別世界へ持って行くなら意味ない。作者へツッコミ所満載な駄作でしかない最低のクズ作品。失礼は承知でこんな設定ならオタク文化から袋叩きにされるレベルのSF作品。読む価値無し。

  30. ひろ より:

    ゆめさんに同感な部分がかなりある。
    特に私は青豆と婦人警官がキン○マについて語りあう章。
    正確には読み飛ばしたのでどれだけ無意味か計り知れないのだけれど、あまりの低レベルさに心が折れそうになった。
    読むのを止めようと思ったけれど“初”村上春樹作品だったし本が高かったから頑張って読んだ。
    無意味なところは飛ばし飛ばし・・・、最後が予定調和だと言われようが“着地”していたのが救いだったかな。
    あと笑ったのが村上春樹が小松をつかって省略する描写と詳しく描写するポイントを天吾に語りかけるようにレクチャっているところ。
    要らない描写だらけのお前が書くな、って感じ。

  31. くろ より:

    たかだか1000冊程度で偉そうに。評論家じみた本読みってマジでウザい

  32. 根保孝栄・石塚邦男 より:

    「iq84」面白い哲学書を読むようでしたね。
    春樹は丸谷才一が言うように「漱石以来の作家」かもしれない。
    <全体小説>という言葉があるが、春樹文学には、現代の人類の精神的迷いにメスを入れた稀有の国際的作家だろう。いい意味でも否定的にでも。

  33. MANDA より:

    本書から「偶発」そんな現実感が感じられる。ありえない------ありえる。血が通っていない登場人物の普遍化という戦略性。衰退しつつあるキリスト教。血の気ムンムンのイスラム原理主義。わけのわからないカルト教団。しかし我々はそれらをテレビ新聞、人伝えでしか状況を知らない。したがって我々は感情的になれないし軽蔑することもできない。言い換えれば他人事に感情的になってどうする?むしろ自分を知ってほしい------いやそっとさせて貰いたい。プライバシーの保護うんぬん。どうせ考えたって行動したって無駄さ。本書はそれを代弁している------いやそうでもない。左脳と右脳で解決出来ない何かを提示しているのかも。そんな作品。

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