ぎりぎりのクライミングを制するには

最近岩でぎりぎりのところで完登できないことが続いている。

自分を鼓舞するために、どうやったら「ぎりぎりのクライミングを制する」ことができるのか考えてみる。

 

 

 


日々の積み重ね

あらゆることで「ぎりぎりで失敗した!」という場面に僕らは出くわすけれど、まず疑った方がいいのは「本当にそれはたまたま起こってしまったような失敗だったのか」ということだ。

結果だけみると、たしかに紙一重で失敗したように見えるということはよくある。

コンペでライン下だったり、岩で核心取りで手がかかったけれど掴み切れなかったり、普段の練習でもバラせるけど繋げるとゴール落ちしてしまってあと一歩、みたいな場面だろうか。

しかし、結果だけを見るのではなく「どうやったらそのぎりぎりの実力差を埋められるのか」という視点に立つと、実は成功と失敗の間には非常に大きな溝があることも多い。

 

クライミング以外の過去の体験を話そう。

僕は国立大学を受験したのだけれど、国立大学は前期試験と後期試験があって、実は僕は前期で落ちて後期で受かっている。

そして入学後に点数を開示したらなんと前期は0.37点の差で合格最低点に届かず落ちていたのだ!

(センター試験の点数を何分の一とかで圧縮して二次試験と合計するので小数点以下の点数が出る)

後期で受かったから笑い話として当時よくネタにしていたけれど、もし落ちていたら一生後悔した出来事になっていたと思う。

しかし今になって冷静に考えてみると、「落ちてしまったその1点分を確実に取れる実力」を身につけることはなかなかに難しい。

受験の範囲なんて膨大なわけで、その1点を確実に取る地力をつけるには勉強時間に換算すれば何時間とかもしかすると何十時間とかがプラスで必要なはずだ。

そう考えると結局は僕の努力の積み重ねが足りなかっただけで、これはぎりぎり落ちたというよりは単に勉強不足でしたねという話なのかもしれない。

 

クライミングだってぎりぎりできなかった1手を止めるには色々なことが求められる。

その差を埋めるフィジカル、メンタル、テクニックを手にするには、どれだけの練習が必要なのだろうか。

そう考えると、単にたまたまぎりぎりで失敗してしまったというような単純な話に落ち着けるのではなく、その差を埋めるために日々どれだけ努力を積み重ねなければならないのかという考えに変えないといけない。

結果はぎりぎりでもその過程を考えれば差は膨大なんだ。

紙一重で届かない一手ができるようになるには、もしかすると自分が思っている以上に考え抜いた練習を長い期間淡々と積み重ねないといけないんだ、と肝に命じながら日々を過ごしたい。

 

 

 

わずかな準備が勝負に影響する

とは言え、上と真逆のことを主張するようだけれど、そのぎりぎりの成功と失敗の分岐点がどこかにあるのは紛れもない事実だ。

入試の話に戻すと、例えば前期の国語では漢字が5問出題されそれぞれ配点は1点なのだけれど僕はなんと「帽子」と「飛躍」が書けなかった、、、。

つまりもし超偶然に事前の休み時間に漢字集とかで帽子か飛躍をたまたま眺めていたらそれだけで前期で受かったわけだ。

 

同様のことがクライミングにだって言えるはずだ。

例えば体重。

「500gくらいじゃ登りには影響ないよ」という人がいるけれど、では1kg違ったらどうだろうか。

それでも変わらないと言うなら2kgでは?5kgでは?

さすがに5kg違えば誰でも影響が出るだろう。

つまり体重だってどこかに成功と失敗をわける分岐点があって、ほんのちょっとの体重差でぎりぎりの勝負を制することができなかったという結果に繋がることはあるはずだ。

他にももしかすると、

事前にもう少しだけ入念にストレッチをしていたらとか、

あと少しだけ炭水化物を取っていたらエネルギーが持ったとか、

前日にランジの動きをしていたらコンペでたまたま同じ動きがでて1撃できたとか、

そういう本当にわずかな準備が結果に大きく影響するということはきっと起こり得る。

ベースになるのは日々の努力の積み重ねなのだけれど、最後の最後までわずかなことが勝負に影響するかもしれないという気持ちを捨てないで細部までできる準備をするということが真摯な態度なのだと思う。

だからセルフハンディキャップに陥らずにできることは泥臭く何でもしないといけない。

 

 

 

ぎりぎりの1手を掴んだという経験

そして最後は身も蓋もない精神論なのだけれど、結局はぎりぎりの1手をこれまでに何度掴んできたか、ぎりぎりの勝負を何度制してきたかという経験がものを言う。

ぎりぎりのクライミングを制するためにはぎりぎりのクライミングを制した経験が必要、というひどいトートロジーなのだけれど。

しかしこれは絶対的な事実だ。

限界ぎりぎりのところで己に負けずに成し遂げたというそういう純粋な経験の数が、また次のクライミングに繋がっていく。

こういうのはいきなりはどうしようもないけれど、意識するかしないかで将来絶対に変わってくる。

 

<この記事で書いたこととも重なってますね>

完登クセをつける。「ゴール落ち」と「完登」の圧倒的な差

 

 

と、まぁ終始啓発的な語り口でなんだかエラそうだったけれど、自分にちょっと気合を入れてみた。

自分の記憶にも多くはないけれどいくつかあるようなギリギリの1手を制するようなクライミングがしたい。

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