クライミングの好きなところ

クライミングの好きなところ

ボルダリングジャパンカップも終わってひと段落。
本当にぼこぼこにされ、あらためてやるべきことを再確認させられ、翌日は朝9時からトレーニングを開始してしまいました。

そして3月1日~11日には四国・九州・中国方面に岩場ツアーに行こうと思っています。

もう本当にクライミング漬けの生活。

さて、なんでこんなにクライミングが好きなのか。

随分前に「クライミングはなぜ面白いか」という記事を書いたのですが、今読むと、、、全然気に食わない記事ですね。笑
なんか変にキレイにまとめようとしすぎて心から思っていることを書いていない気がします。

もっと、ありのままにクライミングの好きなところを感覚的に書いてみたいと思います。

<クライミングの好きなところ>

・完登の瞬間、あるいは止まらなかった一手を止めた瞬間のあの感覚
基本的に登るということは疲れますし指や足は痛いですしストレスの連続だと思っています。
登りたい課題が登れないことによる精神的なストレスもあります。
しかし、だからこそそんな課題が登れた瞬間や、何度もチャレンジしている1手が止まった瞬間のあの感覚は本当に気持ちが良いです。
ストレスからの解放。
まさにカタルシス。

・上達するにつれて、取り組む課題自体が変わるところ
クライミングはその性質上、クライマーの力量によってチャレンジする課題自体が違います。
初心者は初心者が登れる課題に、上級者はより難しい課題に取り組んでいます。
別にスポーツとしての優劣を語っているわけではないので誤解しないでほしいのですが、例えばボウリングなら初心者も上級者もレーンに向かって球を投げるという行為は同じですし、マラソンも42.195キロを走るという行為それ自体は同じです。
(もちろんそれぞれ上級者にしか到達できない高みの境地があり、その人たちが感じている世界は初心者のそれとは全然違うのだけれど)
“あの難しい課題にいつかチャレンジしてみたい”という想いはクライミングの大きなモチベーションの1つだと最近強く感じます。

・シンプルで偶然性が低く、実力が結果に反映されやすいところ
クライミングはそれはもうシンプルです。
己の手足で登るだけ。
それ故に偶然性が低いスポーツなのではないかなと思っています。
例えば極端な例を出すと、麻雀で半荘だけの勝負であればどんな強いプロでも誰にでも負けることはありえると思います。
(もちろん何戦もした場合はトータルで実力差が如実に出ますが)
しかしクライミングでは、実力差のある相手には1課題でも勝つのは困難ですし、たった1手を止める勝負でも勝てないかもしれません。
クライミングにおいて完登を狙ったり1手を止める際の感情に射幸心はほぼありません。
鍛錬のもとに積み重ねた純然たる実力があるかどうかの勝負。
そこがたまらなく面白いのです。

・同じ課題をセッションしているあの一体感みたいなもの
一人で黙々と課題に打ち込むのも好きですが、やはりジムや外の岩で同じ課題をクライマー同士でセッションしている瞬間が何とも言えず好きです。
すごい悪い一手でみんな落ちて「わりー!」とか言い合ったり、そこを誰かが止めたときの悔しさとか、自分が初めに止めた快感とか。
一緒にトライしたわけでなくても、ある外の岩の課題をトライした者同士であーだこーだ話すのだけでも好きです。

・日々、肉体が洗練されていく感じ
クライミングを真剣にやっている人の身体はそれなりの身体をしていることが多いと思います。
自分の肉体が日々の練習と共に変化し洗練されていくような感じは結構好きですね。

・ガンバ、って心から言えるところ
なかなか生活の中で心から「頑張れ」って相手に言えることはない気がするんですよね。

・その他細かい色んな感覚
花崗岩のざらっとしたあの感覚。
瑞牆とかの林の中の透き通ったあの感覚。
外岩に行く途中の車の中でのわくわく。
コンペの開始1分前くらいの緊張感。
腕がパンパンにはって今にも指が開きそうなあの感覚。
目標課題が登れた時の飯のうまさ、etc…

だらだらと書いてしまいました。
きっとまだまだあると思いますがこんなところにしておきますかね。

僕は今はボルダーメインでやっているので、リードとかクラックとかアイスとかそういう方面もがっつりやったり、
開拓とかまで手を広げたら、クライミングを好きと思える気持ちもきっとまた変わるんでしょう。
そうやってまだまだクライミングの楽しさを追求できる余地があるということ自体が幸せなことですね。

ではとりあえずツアー楽しんできます。