チッピングの分類・整理 「那由多」消滅の異質さ
下呂のワールドロックのホールドが大幅に変化した。(注1)
おそらく何者かにチッピングされた可能性が高いとのことである。
それによって国内最難のボルダー課題である「那由多」V16をはじめとし、多くの課題が実質的に消滅した。
この件に関してできるだけ客観的にチッピングというものを捉えて、今回の事件の異質さを考えてみたいと思う。
チッピングという繊細な問題
クライミングという枠組みの中で、「チッピング」とは「人間が岩を削る」ことを意味する。
チッピングは現代のクライミング文化ではタブーとされているが、毎年のようにどこかのエリアでその痕跡の発見報告がされるほどある意味でクライマーにとっては身近な話題でもある。
僕はこれまでチッピングに関してほぼ言及はしてこなかった。
理由の一つには「ある岩が従来と変化したように感じたときそれをチッピングによるものと早急に決めつけることが好きではない」というものがある。
SNSなどでは以前と岩のホールディングの感じが少し違うだけで、とても気軽にチッピングという言葉を使うクライマーがいる。
僕は人間の記憶や感覚はそんなに当てになるものではないと思っているので、これまでのチッピング報告の中にはまず「ホールドが本当に変化しているのかどうか」をしっかりと検証すべきものがたくさん含まれていると感じる。
そしてホールドの変化が本当に起こっていたとしても、それがチッピングなのかどうかも慎重に考えなくてはならない。
岩は登っていれば普通に欠けるし、自然変化も起こる。
僕自身も岩を登っていてホールドを欠かしてしまった経験は一度や二度ではない。
特に花崗岩などは安定しないので多くの人のトライの結果が積み重なって微細なホールドが変化するということも多分に起きる。
なので「ホールドが変化していたからチッピングだ」と結論を出すのは一般的にはあまりに早急すぎると考えている。
この記事を書いた理由
しかし今回の下呂の件はこれだけ信頼できる多くのクライマーが「人為的な破壊」と言っているので、おそらくチッピングされた可能性が高いのだと思う。
僕は下呂に行ったことも無いし実際にワールドロックの変化前と後を見たわけではないから断定的なことは言えないが、ネット上に上がっている写真を見る限りは岩が剥がされた跡などが複数個所あり自然に起こったものとするには無理がありそうだ。
ただこの件に関してはまだまだ真相がわからない状態であるし、僕は下呂に深い関わりがあるわけではないので自身の主観的な意見は述べられないし述べるべきだとも思わない。
しかしSNSや知人友人のブログを読んだりしているうちに、クライミング界に関わっている者としてこの件に関して何も発言しないのもただの逃げでやっかいなことには関わりたくないという心の表れなのではないかとも感じてきた。
ならばせめてmickipediaらしくチッピングというものを客観的に整理することで、みんなが今回の件を考える土壌のようなものに少しでもなれば良いかなと思い記事を書くこととした。
クライミング界のタブー、やると”ダサい”とされていること
クライミング界にはタブーと言えるような絶対にやってはいけないことから、やると”ダサい”ということまでいろいろな暗黙の規律がある。
そしてそれは時代背景とともに変わっていくものである。
例えばリードクライミングで途中でロープにぶら下がってムーブを探るような「ハングドッグ」はかつてはやってはいけないこととされていた。
しかしハングドッグをすることがクライミング界のグレードを押し上げてきたことは間違いのないことであり、現代ではスタイルとして”ダサい”とする人はいたとしても基本的には認められる行為となっている。
逆に最近認められなくなった例としては「ボルダー課題をトップロープで試登する/登る」などがあるだろうか。
例えばかつては御岳の「忍者返し」などもトップロープでトライされることもあったようだが、もし今御岳でこのような行為をする人がいたらおそらく文句が出るだろう。
まぁこれは現代のボルダリングではクラッシュパッドが使えるということや、ボルダー課題の高さやエリアの混雑さなどにもよるので一概には言えないことだが。
とは言え上記の例はほとんどがスタイルの違いで片付くことなのでそれほど問題にはならない。
やったらダサいかダサくないかというレベルの話である。
問題なのは「岩や環境自体に変化を加える不可逆な行為」であり、これらがタブーとするべきかといった議論の対象になりやすい。
例えば
・チッピング
・グルーイング
・ボルトを打つ/抜く
・下地を変化させる
などであろうか。
グルーイングとは欠けそうなホールドを接着剤で固めることであり、自然的でないと問題視されることもあれば歴史的な課題を保護するために認められることもある。(注2)
ボルトに関しても「エリア」「時代」「初登時かどうか」「スタイルに対する考え」などの背景で大きく変わってくる。
スポートルートのエリアにボルトを打った課題を作ってもおそらく多くのクライマーは反対しないであろうが、例えば瑞牆の末端壁のクラックのそばにボルトを連打したら大問題になるだろう。
でもそれも今の時代だからであって、フェイスクライミング全盛期であれば別にクラックのそばにボルトを打っても誰も文句は言わないかもしれない。
またそれとは違って既存課題のボルトを抜いてよいのかという問題もある。(注3)
他にも下地を変化させて良いかという話。
これもエリアの開拓時なのか、既に登られている課題なのか、という背景で大きく変わる。(注4)
というようにとにかくクライミング界にはタブー、ダサいこと、などありとあらゆる暗黙の規律やスタイルが存在するのだ。
これらの話にまで広げると収拾がつかないので、このあたりは興味がある方と直接お話することとして、今回は記事の中ではチッピングだけに絞って進めたい。
チッピングの分類・整理
まずチッピングと言ってもいくつかの種類があるということを整理しなくてはいけない。
分け方は色々あると思うがここでは「初登か/既存課題か」「登るためか/破壊のためか」という軸で考えてみたい。
まず①の「(自分が)登るため」に「初登」時にチッピングするというもの。
これは僕の感覚では現代の時代背景におけるクライミングでは完全にタブーとされている。
おそらく日本で一番有名な事件としては「ナイル事件」などがこれにあたる。(注5)
しかし僕も伝聞だがフランスなどのヨーロッパにはチッピングされて作られたルートがあり普通に登られているらしいし、「ナイル事件」の当時も全クライマーが断固反対と表明したわけでないことからも、初登時のチッピングは時代背景次第では必ずしも絶対に否定されてきたものではないはずである。
それに登られるまではその岩はクライミングの課題にはなりえていないので、チッピングの境界線を引くことは実は結構難しい問題である。
誰も登っていない岩をフリークライミングとして登る意図をもって岩を削ればチッピングだが、単に裏庭にある自分の土地の岩を削っても別にチッピングとはされないはずだからだ。
(例えば石切り場に対してチッピングだ、やめるべき、とはならない)
なのでたまにチッピングを「自然破壊だからダメ」「岩がかわいそうだからダメ」という人がいるがそれは論点ずれていると言わざるを得ない。
あくまでチッピングはクライミング文化の破壊であり冒涜であると位置づけなくてはいけない。
僕らクライマーの享受できる利益が減るからとはっきりと言わなくてはならない。
まぁただ、とにかく現代の時代背景ではやはりそれがクライミング文化にとって良い影響は与えるものではないし、タブーとするべきという意見でコンセンサスが取れていると考えて良いと思う。
次は②「(自分が)登るため」に「既存課題」をチッピングするというもの。
おそらく巷でチッピングという用語が使われる際はほとんどがこれに当てはまると思うし、(その内どれだけが本当にチッピングされたのか真偽はおいておくとしても)報告例もとても多い。(注6)
そして僕の知る限りは、これまでのどこの国のどのような時代背景や文化においてもフリークライミングの枠組みの中でこの行為をすることは許されていない絶対タブーなことである。
既に登っている人がいるルートを自分が登り易くするためにホールドを削るということはクライミングの精神に完全に反する。
しかし一方でその意図や目的を理解することは可能ではある。
あくまで動機は「登りたいから」なのであり、そのためにチッピングしてしまうことはクライマーの風上にもおけないが、人間心理としては理解することは僕はできる。
なのでこういったチッピング報告がなされても個人的に不気味さは特段感じず、「あぁ弱い心からやってしまったんだなぁ」と思うだけである。
もちろん根絶するような仕組みは必要だが。
③の「他人に登らせないため」に「初登」時に破壊するはかなり特殊だ。
前例があるのかは不明だが、自分も登れないし誰かに登られるくらいなら破壊してやろうと考えてやられたルートはもしかしたらあるのかもしれない。
完全にルートの破壊まではいかなくても「このガバがあると簡単になってしまうから、削るか」という程度ならばあるのかもしれないが。
そして④は今回の下呂の事件にあたるが、「他人に登らせないため、もしくは破壊するため」に「既存課題」をチッピングするというものだ。
※追記※
コメントでも指摘が入っているように、
「那由多に関しては初登時に使われたホールドは破壊されておらず(正確には一個は無くなったが重要ではない)何も無かった部分に新たに出現している感じ。
よって、簡単にしようとした部類に入るかと思います。」
とのことです。
よって実行者の動機はまだ不明ですが②のように自分で登るため(?)に簡単にした可能性があります。
このあたりは私が勘違いしてしまったため以下の文は事実と少し違う点があるのかもしれませんが、一応元の文のまま残しておきます。
※追記※
こういった例は実はこれまでにも起きている。
これにもいくつかパターンがあって、1つは再登時に初登時と違ったホールドを使われたためにムーブを限定させるためにチッピングした、というような例だ。(注7)
そしてもう1つは「北山公園でのボルダー破壊」のような課題そのものを破壊してしまう行為だ。(注8)
今回の下呂の事件はこの北山公園の事件と似ているように感じられ、写真を見る限りは明らかに課題を破壊するという意図がある点がとても異質である。
これが那由多を登りたいからホールドをポジティブにするためにチッピングしたというなら、クライミング文化の中では絶対に許されない行為だがまだ動機が理解できる。
ただの弱い心を持った”元”クライマーだ
しかし写真を見る限り、そこから感じされるのは誰にもその課題を二度と登らせない、課題を消滅させるための”破壊”なのである。
ここが異常だし理解しがたい点だ。
なので今回の事件を一口にチッピングとまとめてしまっては本質がぼやけてしまうように感じる。
この件はクライミングという枠組みを超えた事件だ。
そこに理解できない不気味さを感じると同時に、僕はその動機が単純に知りたい。
そして理解したい。
このまま終わらせて良い事件ではないし、もし僕に何かできることがあるなら協力したい。
注記の説明、及び参考文献
・注1:下呂のチッピング問題
dai’s diary:「前に」
クライミングネット:「国内最難課題消滅!下呂で大規模なチッピングか?」
雪山大好きっ娘+:「日本最難ボルダー課題・那由多(V16)、ホールドが破壊され消滅」
・注2:グルーイング
グルーイングされている課題は実は有名課題でもかなり多い。
ただしクライミング界としてその課題を保存したいという場合には認めれることも多く、例えばBishopのSpectreのスタートホールドの例などを『Rock Climbing 004』でデイブ・グラハムが語っている。
・注3:既存課題のボルトを抜く
例えば8mくらいの岩壁があったとしたらあなたはこれをボルダー課題として登りたいと思うだろうか、なんとかしてナチュラルプロテクションをとってトラッド課題として登りたいと思うだろうか、それともボルトを打ってスポートルートとして登りたいと思うだろうか。
さらにそれが誰かが既にそのいずれかのスタイルで登ったあとの話だった場合違うスタイルで登るということに関してどう思うだろうか。
これに関する議論としておそらく最も有名なものは小川山の「転がる大根」におけるボルト撤去だと思うので、気になる方は読んでみては。
<Rock&Snow 014>
・注4:下地の問題
ある課題を登るために下地の岩などを撤去して良いか、それとも下地にある岩にぶつかるかもしれないという危険まで含めてその課題と捉えるのか。
こちらも瑞牆の「発射台」の下地変化に関する室井登喜男さんの名文「下地に問われるもの」が非常に参考になる。
<Rock&Snow 059>
・注5:ナイル事件
小川山の「ナイル」というルートが電動ドリルであけた穴をホールドとして登られていたという事件。
「イムジン河」という歴史的なルートのすぐ横ということもあり当時非常に大きな物議を醸しだした。
『岩と雪137』にはナイル事件に対して多くのクライマーが非常に多種多様な意見を寄せているので、現代のクライマーも読むべき。
チッピングに対する考え方が少し変わるはず。
・注6:既存課題のチッピング
報告例は多すぎて枚挙に暇がないが、『free fan073』などに最近のものはまとまっている。
・注7:ムーブ限定のためのチッピング
例えば備中の「Aozora ダイレクト」「Regression」の例。
同じく「free fan073」参照
・注8:北山公園のボルダー破壊
北山公園で「アゲハ」などのボルダー課題が破壊された事件。
事情が複雑に入り組んでいるためここでは深い説明は避けるが、興味のある方は以下などを参考に調べてみては。
<Rock&Snow 012>
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