推しクライマーインタビュー 4~Theハレ男~

推しクライマーインタビュー 4~Theハレ男~

恒例企画の推しクライマーインタビュー第4弾!
今回はまだ3年弱のクライミング歴でありながら「ハレ(四段)」を登った三田建悟(みた けんご)さんにインタビューさせていただきました。

【過去の推しクライマーインタビュー】
1~スラビスタと呼ばれる男~
2~クライミングの狂気に飲まれた男~
3~ノーマットスタイルの隠れた継承者~

ハレは瑞牆の大面岩下エリアにあるルーフの課題であり、初登は中嶋徹さん。
出だしの1,2手に強度が凝縮されたこれぞ真っ向勝負という課題で、見た目・内容共にとてつもなくカッコ良いです。
ただでさえクライミング歴の浅いクライマーが四段を登ったということで、三田さんの完登が知れ渡るとライノ・フィッシュ界隈は一時その話題で騒然となりましたが、何より驚くのはインドアでのクライミングの強さや上手さとのギャップ。
正直なところ三田さんのインドアグレードは2,3級が限界であり、一見とても高強度の四段を登るクライマーには見えないのです。
それに加えてこれまでの三田さんの岩場での成果も二段が1本と初段が数本のみ。

しかしそのハレ完登の陰には、執拗なまでのハレへのトライ、自身の登りへの飽くなき探求、独自のハレ専用トレーニング、など壮絶な努力があり、その結果心身ともにハレ仕様となった三田さんがいたのです。
個人的にも三田さんがずっとハレを追い続けていたのを知っていたので、感慨深いインタビューとなりました。

では、お楽しみください!

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(ハレの岩)

年間70日岩場に通う

-まずは簡単なプロフィールを教えてください

1990年生まれの26歳で、ライノ関係だとスタッフのYou君やお客さんのマントル五十嵐君などと同い年です。
クライミングを始める前は学生時代にサッカーをやっていました。
仕事は普通のサラリーマンをやっていますが、平日休みが多く休みのほとんどは岩場に行くことに当てています。
月に5,6日程度は岩場に行くので、年間で70日くらいは岩場に費やしている計算ですね。

-おそらくライノの誰よりも岩場に行っているんじゃないですかね
クライミングを始めたきっかけは何ですか?

本格的に始めたのは2014年の2月なのですが、実は高校3年生の2008年の秋にライノで少し登っています。
高校が本郷にありライノのある日暮里と近かったのですが、たまたま日暮里のそばを自転車で走っていたら「この先通り抜けできません」みたいな看板を見つけて、気になって進んでみたらライノを見つけました。
ヤングジャンプの『孤高の人』を読んでいてボルダリングのことは知っていたので、おしゃれだしやってみるかと思い1,2週間後にライノに登りに行きました。
やってみると結構楽しくて、10回くらいは通いましたね。120度壁の黄色(4級)のプッシュ課題を撃ち込んでいた記憶があります。

-10回程度で4級触るのは結構強いですね!
その時はなぜ続かなかったのですか?

たぶんただのお客さんだったと思うのですけど、やたらとムーブなどを教えてくるおじいちゃんがいたんですよね。その人の教え方があまりにしつこくて嫌になって行かなくなってしまいました。

その後社会人になって、何か趣味を探している時にたまたまライノの会員カードを見つけて、もう一度やってみようと思いまた1人でふらっと休みの日の昼間にライノを訪れました。
その時のスタッフがYou君と植田さんだったのを覚えていますよ。
最初はレンタルシューズで5回くらい通ったのですが、これはずっとやり続ける趣味になるかもしれないと思い1足目のシューズとしてローグを買いました。
僕は周りに人が多い中で登るのが苦手なのですが、昼間だと人がいなくて良い環境でしたね。

それから同じ中学の五十嵐君をライノに誘ったり、たまたま高校の先輩の樋口さんにライノで会ったりして、一緒に登る仲間が増えていきました。

-確かクライミングを始めて割とすぐの頃の三田さん課題がかなり悪くて、僕は登れなかったのに三田さんが登れたと聞いて驚いた記憶があるのですが、あれはいつ頃でしたっけ?

それは僕も覚えています。確かクライミングを始めて半年くらいの頃ですね。
強傾斜のガストン課題で3級とグレーディングしていたと思います。
だんだんと3級が登れるようになってきた頃で、自分で限界の課題を作るのが楽しかったです。
でもその直後くらいの2014年9月にクライミングと仕事の両方が原因で腰が椎間板症になってしまい、思うように登れない日々が続きました。
なので、もしかしたらインドアのグレード的にはその頃が一番強かったかもしれません(笑)
今でもジムでは強傾斜でも2,3級が限界で、緩傾斜だと4級ができないこともあります。

-そう考えるとやはり三田さんのポテンシャルの片鱗というか、1つの課題を撃ち込む姿勢は既にあの頃からあったんですかね
初めて岩場に行ったのはいつ頃ですか?

2014年の8月に沖縄の具志頭(ぐしちゃん)に行ったのが初めての岩場です。
毎年先輩と2人で沖縄へ観光に行っていたのですが、クライミングを始めていたのでせっかくなのでシューズなどの道具を持って行きました。
「チョックストーンアタック(初段)」をトライしたかったのですが、台風の翌日だったこともあり濡れていて満足にトライできなかったです。
それで「ストレートノーチェイサー(二段)」を触ったのですが、スタートで離陸するだけで精一杯でした。
当時の僕にはありえない課題に感じましたね。

その後先ほども言ったように腰を痛めてしまい、ジムでも登る頻度が減っていたのですがちょっと良くなってきた10月に高校の先輩でありライノで登っている樋口さんに誘ってもらって瑞牆に行きました。
色々な課題を触りましたが全く登れず、更に腰の怪我のこともあって岩場に対して恐怖心を感じただけに終わりましたね。
「日々の暮らし(1級)」、「算術(初段)」、「あかね雲(3級)」などに敗退し、更には「黎明期のスタンドバージョン(5級)」すらも登れなかったです。

インドアではひたすら目標となるラインの模擬課題に撃ち込む

-そこからどのように岩場にどうやってハマっていったのでしょうか

その年の12月に4連休を利用して豊田に1人で登りに行ったことが1つのきっかけになっています。
当時はトヨタで整備の仕事をしていたのですがちょうどその仕事を辞めるタイミングでした。
『日本100岩場』を全5巻買ったのでパラパラと見ていたら、豊田にも岩場があることを発見して、せっかくだしトヨタ本社を拝みに行くついでに岩場も行ってみるかと思って。

この時に大楠林道エリアの「春三番(e:1級~初段)」という課題を落とすことができました。
実はトライし始めた時はそのラインは「うるせいやつ(c:4級~3級)」だと思っていたのですが、途中で調べてみるとSDバージョンの春三番だということが判明しました。
でも何とか登れそうだったので5時間くらいトライし続けて登り切ることができましたね。
登れた後はその日は日暮れまでその岩の上で過ごしました。

これがきっかけで、岩場の初段でも撃ち込めば登れるんだということに気づいて結構岩場に対して自信がつきました。
そのあたりから休みの日はほぼ毎日のように岩場に行くようになりました。

-始めて1年足らずで初段を登っているのもすごいですね。
その他の岩場の印象的な課題等を教えてください

その後は具志頭のストレートノーチェイサーがやはり気になっていて、冬から春にかけてはライノでストレートノーチェイサーの模擬課題をひたすら自分で作って撃ち込んでいました。
岩場の模擬課題を作るのもすごい好きなんですよね。
ポケット取りが悪いと聞いていたのでポケットへのデッドをしまくったり、家にもメトリウスのロックリングスと懸垂バーを買ってひたすら指トレをしていました。
あとは体重を減らせば何とかなるんじゃないかと考えていましたね。

その後2015年の5月に腰の手術をしたこともあってジムでは満足に登れない日々が続き不安がありましたが、恒例の8月の沖縄旅行でむしろ先輩の方から「今年はあれやるんでしょ?」と言ってくれたので、沖縄に着いたら即行で具志頭に向かいました。
ストレートノーチェイサーは前年に触って離陸がギリギリだったこともあり、そんなに簡単に登れるとは思っていなかったのですが、専用トレーニングの効果が出たのか1,2時間でわりとあっさり登れてしまったのですよね。
ライノに帰って大学が沖縄だったスタッフのYou君に登れたことを伝えたら「マジっすか!?本当ですか!?」としばらくは信じていない様子でした。
当時の僕のインドアの登りからは想像がつかなかったのかもしれません。

-You君は未だに少し疑ってますからね(笑)

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(具志頭にてチョックストーンアタック)

ハレにのめり込みひたすらに研究。400回近くのトライを重ねる

-ではいよいよ本題に入ります
ハレはいつ頃から触り始めましたか?

初めてトライしたのは2015年9月20日なのですが、その前に瑞牆の大面岩下エリアのトポが載っている『ロクスノ65号』だけを持ち探索に行っています。確か夏過ぎですね。
大面岩下エリアは初段以上が多く上級者向けと書いてあったので、どのような岩が転がっているか気になってしまって。
その時にハレの岩は見つけたのですが、正直なところトポだけではラインがよくわからなかったです。
というのもハレの初手がヤバ過ぎて、スタートはただのフットホールドで上のガバからスタートする課題なのではないかと勘違いしたくらいでした。
帰宅した後、大面岩下エリアの動画をネットで見ていたら竹内俊明さんがハレを登っている動画を見つけて、正式なラインがわかり衝撃を受けましたね。フットホールドだと思っていたものがスタートだったので。
そしてその真っ向勝負のムーブのカッコ良さに惚れ込みました。

そこからはその秋は毎週のように瑞牆に通いほぼハレのみを撃ち込みました。
他の人と瑞牆に行っても分かれて1人でハレに通い詰めました。
ライノでもルーフにハレ想定課題を作って初手のデッドの練習を何度も繰り返しましたね。

-この頃の三田さんはハレにすっかり囚われてましたよね

そうなんです。ハレのことを考えすぎて少しおかしくなっていたかもしれません。
それでライノで植田さんから「ハレにこだわることも良いけれど、総合力をつけることも大事だ」と言われて、一時期ハレに撃ち込むのを止めて他の課題も触るようにしました。
瑞牆だと苦手系な「フリークエントフライヤーズ(初段)」はかなり苦戦しましたね。全くタイプじゃなかったので、5,6回は通って登ったと思います。
他には瑞牆だと「竜王(1級)」、「ジュゴン(初段)」なども登りました。
御岳にも結構通って、1級以下の課題くらいは大方触りましたね。

-そこから再びハレに撃ち込み始めると思いますが、トライ回数やハレの研究を記録したノートなどについて話してもらっても良いですか?

たまたま見ていたテレビ番組で、サッカーの本田や野球のイチローが子供の頃からノートを付けているというのをやっていて、それで単純に「これやったら強くなるかも」と思って始めました。
携帯のメモにも、何日ハレに通って、何トライして、何回初手で振られたとか、何回初手を耐えたかなど記録しました。
数えてみるとハレは計31日、367トライしていたみたいですね。
今までは何事も三日坊主で、ランニングとか食事制限とかも続いたことはなかったのですがこれは続けることがなぜかできましたね。

-400回近いトライは凄まじいですね
ノートの方には具体的にはどのようなことを書いているのでしょうか?

初期の頃はすごい当たり前のこととか、ポエム的なことばかり書いていて恥ずかしいですね。
「保持力、デッド、体幹、足遣い、トレーニングが必要」とか意味のないことを書いています。ほぼ全部の強化が必要っていう。
病んでいる時はハレの飛び出しの角度をベクトルの内積で計算するとか謎なことをしていますね、、、。

-このベクトル図はかなりイっちゃってますね(笑)

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(三田さんのノート 初期)

そしてだんだんと「甘いピンチで飛び出しの練習が必要」とか記すトレーニングの中身も具体的になってきました。
意味があったかはわからないですが「指立て伏せや逆立ち指立てを何回する」とか書いて実際にやったりしましたね。

終盤は、初手取りで振ったときのおしりの感覚、手の持つ位置、足の置き方、ひざの曲げ方、などなど具体的な改善をしていきました。
例えば、ハレのスタートは左足を置くところがほとんどないので垂れ下げていたのですが「無理やりにでもスメアでどこかにあてた方がスタートの体勢はきついけど距離は出せる」とか、「スタートの左手親指はかかりやすい場所があるので、そこに対して無理に小指まで回さずに反時計回りに手首を回すように効かせるのが良い」とか、そういうのを図示して残すようにしました。

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(三田さんのノート 終盤)

音楽の力で奇跡の完登

-ここまで具体的に1つの課題を探求している人はなかなかいないと思います
登れた日のことを教えてください

2016年の10月6日に初めて1手目を耐えることができましたが落ちてしまったので、その後のパートも入念に練習するようにしました。
初手以降も僕には初二段はあるように感じましたが、初段も二段もそんなに登っていないのでよくわからないですね。
保持力がある人にはもっと簡単に感じるのかもしれません。
そして11月17日にもう1度初手を耐えられてそのトライで登ることができました。

でもこの登れた日はアンラッキーなことが連発してすぐにでも帰りたい気分だったのですよね。
本当は前日から泊りで瑞牆に行くはずが、前日寝袋を忘れてしかたなく日帰り2連続になってしまいました。
しかも当日は寝坊して朝9時くらいに起きた上に、首都高が事故の影響で大渋滞でした。
トイレ休憩で入った談合坂SAではチンピラに目を付られて絡まれるし。
ついていないことが続いてもうそこで帰ろうかと思いましたよ。
それでも何とか瑞牆まで行ったら、北海道から旅をしているというクライマーと出会いたまたま大面岩下エリアを知っているかと尋ねられたので、案内したついでにハレにトライすることにしました。

気分が全く乗らないまま4トライしたのですが初手がやっぱりまた止まらないんですよね。
それでふとレスト中にNujabes(ヌジャベス)がクラムボンの曲をサンプリングした『Imaginary Folklore』を聴いたのですが、今まで何とも思っていなかった「何かが変わっていくようなそんな気がした。あと少しで」というフレーズが心にグサっと刺さってしまって。
そうしたら突然気持ちが切り替わって、その後の2トライ目で完登することができました。

-めっちゃロマンチックな展開じゃないですか!
しかし、ちょっとのメンタルの違いでそこまでパフォーマンスに差が出るのは面白いです
登り切った時はどういった気持ちでしたか?

まず初手が再び止まってから、何とも言えない恐怖感みたいなものに襲われて、1手出す毎に降りようかと考えてしまいました。
初手を取ったあとの左ヒールがすごい甘くしか掛らないし、2手目も全然引き付けられないし、次のガバを取ったら高さの影響なのかめっちゃ怖くなったし。
マントルをほとんど返し切ってからも怖くて1分くらいもじもじしてしまい、今ならまだ安全だから降りてしまおうかと思ったくらいでした。
登り切ってしばらくしたらだんだんと実感が沸いてきて、誰かにすぐに言いたくなって五十嵐君、樋口さん、遠藤さんに電話をしました。
でも皆仕事中で出てもらえず。その後遠藤さんから折り返しの電話がきて「ハレ落としました」と伝えた瞬間に涙が溢れて号泣してしまいました。
遠藤さんにはずっと10分間くらい意味不明なことを喚いていたと思います。
樋口さんからはラインがきて「おめでとう!」と言われましたが、動画を撮っていないと伝えたら、「動画撮れよ!」と言われてしまい。
おそらく樋口さんは未だに僕の完登を疑っていますね(笑)

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(ハレの初手)

-なぜ三田さんはハレを登れたと考えていますか?

正直なところ今でも僕みたいなのが四段を登ったというのが信じられないというか、トライしていたこと自体がおかしいという感覚なんですよね。
次やれと言われてもやれるかはわからないし、なんであの時登れたかも自分ではわからないです。
ただ、それとは裏腹にこれだけハレに取り組んだのだからきっと登れるはずという気持ちもありました。
きっとみんなやれば登れるはずなんですよ。
登れない課題は無い。
登れないとしたら、まだそこまでやっていないだけ。

-確かにそこまでやっている人は少ないですもんね
今後は何か目標はありますか?

やはり真っ向勝負系というか、このラインしかないという課題を登りたいです。
瑞牆だと「インドラ」、「百鬼夜行」、あと全くタイプではないですが「十六夜」ですかね。
塩原だと「カタルシス」を登りたいので、まずは「カランバ」でしょうか。
御岳なら「ネクロフォビア」、「タナトフォビア」、笠間では「色」がやりたいです。
それと、次の春にハレの再登を狙っています。その時はもちろん動画も撮ります。

-意識が高くて良いですね!三田さん、ありがとうございました!

いかがでしたでしょうか。
僕個人としても課題に対する執念、撃ち込む姿勢、そしてクライミングそのものに対する見方を見直させてくれるようなインタビューでした。
自分が心底登りたいラインにもっと情熱を注がなければならないのかもしれません。

ちなみに彼のノートの最後にはこう記してありました

「音楽の力は偉大なり。R.I.P. Nujabes」

どこまで、ロマンチストなんだ君は。