クライミングのスタイルは強要すべきではないが、知っておくべき
クライミングには様々な種類があり、更にそれぞれに多様なスタイルがあります。
とてもシンプルなボルダリング1つをとっても
・登る前に動画や他人の登りから情報を得るか
・スタート以外のホールドを事前に触るか
・パート練習をするか(いわゆるバラし)
・トップロープを張って練習をするか
・マットを使うか
・マットを2枚以上重ねるか
・スタート位置に厳密にこだわるか、手の届くところから始めてしまうか
などなど、ぱっと考え付くだけでもたくさんのスタイルがあります。
(これに加えて「ティックマークを付ける消すの問題」「ナイトの問題」「上裸の問題」などマナーっぽい領域にまで話を広げればこれまたたくさんの各クライマーの主張があるのですが、そこはまた別の機会で論じましょう)
そして今回言いたいことを先に書いてしまうとタイトルの通りなのですが、
他人にスタイルを強要すべきではない
が、どんなスタイルがクライミングという世の中に溢れているのかは知っておくべき
と僕は考えるということです。
ちなみに僕はスタイルに対するこだわりはたぶんそれほど強くないです。
難しい課題でムーブができないと他人に聞いちゃったりYoutube見たりするし、全然バラすし、場合によってはスタートにマット2枚重ねちゃいます(だってヨセミテとかビショップとか明らかにスタート届かない課題あるし、、、)。
でもオンサイトしたいなーと思っているときは情報をシャットダウンすることもあるし、そういう時はファーストトライはスタート以外のホールドを触らないようにするし、どんなにハイボルダーだってグラウンドアップで登られた課題にトップロープを張ろうとは思わないし、暗黙の了解でスタート離陸核心な課題(例えば「水際カンテ」とか)ではマットを積もうとは思いません。
きっと僕は自己の中にまだ強烈に確立されたスタイルなんていうのはなくて、時と場合によって移り変わっているのでしょう。
その上での発言ですが、僕は他人にクライミングスタイルを強要することはあまりしたくないです。
クライミングというのは言ってしまえばただの壁登りや岩登りです。
それをどんなスタイルでやろうと自由っちゃ自由なわけですね。
事前にYoutubeで超予習して課題をフラッシュして喜ぼうと、スタート指定されている課題を違う途中スタートから始めようと(同じ課題を登ったことにはならないけど)、マット重ねまくって完登しようと、その人の自由でありそれを止めさせる理由はありません。
しかし大事なのはここからなんですが、
このクライミングという世界にはどんなスタイルがあって、一般的にはどちらのスタイルがより良いとされていて、どんなスタイルがダサいと思われがちで、スタイルに命を掛けるくらいこだわっているクライマーもいるということを少なくとも知ってはおくべきだ
ということです。
例えばジムでセッションをしている時だって中には課題をバラすことをあまり良しとせず必ずスタートから毎回繋げるというスタイルにこだわる人もいます。
そのような人の前でセッション中にいきなりバラしはじめると嫌な顔をされたり、ダサいなーと内心思われる可能性もあります。
なのでそういうスタイルがあることを少なくとも知って、それでもセッションの途中でバラしたいなーと思ったら「すんません、バラさせてもらいますー」などと一言そえたりすると気持ち良いと思うのですよね。
そうすればその2タイプの人種は共存できます。
(ちなみに僕はガンガンばらします。笑)
で推測も入るのですが昨今クライミングの裾野が急速に広がったためにクライミングの基本やカッコ良さを教えてくれる師匠的な存在がいないままだったり、本とかネットで記事を読まなかったりする人も増え、スタイルを知らない人も多くなっている気がするのですよね。
こういう話は枚挙にいとまがないのですが、リードクライミングでのチョンボ棒(届かないカラビナにクリップする棒、チータスティックともいう)の使用是非とかもすごい当てはまりますね。
チョンボ棒使うことに対して僕は否定はしませんが、それは全くスタイル的にはカッコ良くないし、チョンボ棒を使った場合はRPしたとは思いません。(初登で使っている場合を除く)
でもそれも「チョンボ棒ってダサいんだよ」と教えてくれる先輩や師匠がいなかったりすれば仕方のないことなのかもしれません。
しかし少なくとも自ら色々本やネットを読んだりしてスタイルを知っていく努力はするべきであって、その上でリスクとの天秤でチョンボ棒を使うかどうかの選択をすれば良いと思うのです。
よくわからない人はとりあえず↓は読んでおきましょう。
フリークライミングにおける「チョンボ棒」の使用について(稲垣さん記事)
他にもトップロープやフィックスロープを張るという行為1つとっても倉上さんの「千日の瑠璃 開拓記」を読んだりしていれば、クライマーなら自分がその選択を迫られた時に何か思うところがあるはずなんです。
“立木にスリングで支点を設置し、しばし躊躇したあと、ひと思いにロープを放り投げる。
今までどんなハイボルダーでもグラウンドアップを貫いてきた。
今日の出来事は自身にとってあまりに大きすぎる己の弱さの享受と、妥協であった。
長いこと感慨にふけり、そして下降を開始した”
こういった信念を持つ人が世の中にいることを知れば、少なくとも何も考えずいきなりトップロープ張ろうとはならないと思います。
その上でスタイルとリスクを冷静に見極めて、それでもここはトップロープだとなればそれを選択すれば良いですし、僕も自分にとってリスクが高すぎる場合とか初心者の人に練習させる時とかはもちろんトップロープを張ります。
(僕の場合はトップロープを張らないでグラウンドアップで取り付くとハングドッグ連発してしまうことが良くあるのでそれもスタイル的に結局ダサいじゃんという別の悩みもあるんですが)
<倉上さんの開拓記が載っている『ロクスノ70』>
更に最近気になるのはより良いとされるスタイルに対して、無知のためなのかもしれませんが、否定的な発言をする人が見られることです。
例えば「ノーマットでボルダリングをするべきでない」と言う人がたまにいます。
そもそもちょっと昔までマットなんてものは存在してないし、小川山・瑞牆などを中心に初登がマット無しでなされたボルダー課題は数多くあります。(数多くというか室井さん初登とかはほぼ全て)
それなのにマットを使うべきだという真逆のスタイル、はっきり言ってしまえばより劣るスタイル、を強要するのは歴史的経緯を知らないが故の発言ととられておかしくないですね。
室井さんの「下地に問われるもの」とかを読めばそんなことは絶対に言えないはずなのですが。
“マットなしで初登された課題を、マットを使って再登して悔しくないのか?”
もちろん安全を考慮し、もしノーマットで怪我をしたら最悪エリア封鎖になるかもしれないことなどを懸念した上での発言なのはわかります。
が、彼らはノーマットでもリスクを見極めているし、マットありでもそもそもボルダリングって怪我のリスクかなり高いですからマットを使えば安全性が担保できるというのもマットを信頼し過ぎなんですよね。
<室井さんの「下地に問われるもの」が載っている『ロクスノ59』>
と、自分がノーマットでやってるわけでもないのになぜか最後に少し熱くなってしまった、、、。
まとめると、とりあえず自分で困難なスタイルを実践したり他人にスタイル強要する必要はないけれど、クライミングのスタイルに関する知識だけは持っておいて損はないということです。
ではでは。
<ヒコーキ雲の消える先でスタイルと無謀を勘違いした自分の写真>
-
前の記事
瑞牆で簡単なマルチ継続登攀、アレアレア1P目、アプリオリ 2018.08.11
-
次の記事
中国陽朔クライミングトリップ~サウナのクライミング編~ 2018.08.20