inputは終わった!
inputだけの生活は終わったのです。
前段
僕は知識欲と収集欲が強い方だ。
毎月本(もちろん漫画含む)に4~5万円ほど使っているかもしれない。
加えてそれなりに音楽も聴くしたまには映画も観る。
そんな生活をしていて、最近ふと思った。
「inputはもう十分ではないのか?」
アナロジー
大学入試を経験したことがある人ならば教師/塾講師に次のように口酸っぱく言われた経験があるだろう。
「inputした知識をしっかりoutputして自分のものにしろ!」
要は参考書を読むだけでなく、問題集を解くなり模試を受けるなりして、知識を定着させろということだ。
outputの重要性はどのような物事に対しても言える。
例えばオセロにおいてはいくら定石を暗記(input)しても、実戦で何度も使わなければ(outputしなければ)本当の武器にはなりえない。
仕事でも、資料を読み込んだりヒアリングをしたりしてわかった気になっても、いざスライドを書くとなると行き詰ることが往々にしてあり、そのたびにoutputの重要性に気づかされるものだ。
問題提起
さて、本題。
日々の生活で僕らは膨大なinputをしているのだけれど、そのoutputはきちんとできているのだろうか。
例えば人に話をするのはoutputの一つだ。
得た知識を誰かに話すことで、知識が定着する、また新たな発見をすることは多い。
しかし、僕の中には誰にも話していない膨大なinputされた知識、及びそこから醸成された「考え」、「もやもや」がある。
これを何らかの形でoutputするべきじゃないのか。
具体的行動
では、具体的に何をしようか。
とりあえず、このブログを使おうと思う。
くだらない内容でいいからとにかく何かを吐き出そう。
仕事柄なかなかブログを書いている暇はないのだけれど、inputは終わったんだ。
それとクライミングの方も、漫然と登るだけでなく、自分で課題を作ったりしてみようと思う。
岩場の開拓とかもやりたいなぁ。
・月2回はブログを書く
・クライミングで自ら課題を設定して登る
-
前の記事
御岳でボルダリングの課題「忍者返し」1級が登れた 2011年3月5日 2011.03.28
-
次の記事
痩せることについて語るときに僕の語ること 2011.05.16