運動器:運動を実現する7つの基本パーツ
- 2026.06.14
- クライミングの医学的地図 上達方法 医学 科学するクライミング
前回の記事では、クライミングのパフォーマンス向上や怪我治療の問題を医学の観点からどうアプローチできそうなのか、その包括的な地図を描いてみた。
今回から1つ1つ詳細パートに潜っていきたい。
いきなり”保持力を上げるには?”のようなクライミングに特異で曖昧なテーマを語り考えることは難しいので、まずは「身体の基礎」として組織や器官といった大きな枠組みから整理を始め徐々にスコープを狭めていく。
運動器とは
初回は「運動器」。
運動器とはなんだろうか。
手元の教科書には「全身の運動に関わる器官と組織の総称」と書いてある。
もう少し自分流にかみ砕くと、運動器とは「人間の身体を機械的に動かすことを実現するのに最低限必要なパーツである」と言えるはずだ。
人間の身体が機械的に動くとき、どんな運動であっても、
「神経」が「筋肉」へ信号を送り「筋肉」が収縮しそれが「腱」を通じて「骨」を動かし「靭帯・支持組織」で守られた「関節・滑走組織」が曲がることで「皮膚」と面した外界へ仕事が伝わる
というメカニズムが働くことは共通だ。
よってこの記事では後々クライミングに応用することを見据えて、運動器を
・神経
・筋肉
・腱
・骨
・靭帯、支持組織
・関節、滑走組織
・皮膚
と定義し、これらを運動器の基本7パーツと呼ぶ。
この7パーツの役割などをざっとまとめると以下の表になる。
攻め/守り、などはキャッチーで医学的な言葉ではないが、
・攻め:運動パフォーマンスを向上させるパーツ
・守り:怪我から守るパーツ
というイメージで分類した。

AI絵全盛期の時代だが、これら基本7パーツの関係を示した絵を植田画伯直々に描いたものを添えておく。

運動器7パーツのフレームワークの注意点
説明を進める前にこのフレームワークに関して2つ注意点がある。
この記事では「身体を機械的に動かす」という言葉を「命令→運動」(いわゆる遠心路)という意味で使っている。
しかし実際の運動はもちろんもっと複雑であり、目で見たり音を聞いたりする感覚器からのインプット(いわゆる求心路)と、それらの中枢神経での処理、さらにその遠心路へのフィードバックまで考えなければいけない。
感覚器からの求心とその処理は、運動の学習なども含まれ個人的にもかなり興味があるテーマだが、今そこまで考慮すると複雑化しすぎるので別の機会に回す。
また遠心路だけを考えたとしても、心臓などの循環器や肺などの呼吸器等から受ける影響ももちろん見逃せない。
これらはスポーツを考える上でも持久力に密接に関わる超重要器官であるが、究極的にはそれらの効果は必ず基本7パーツである筋肉や骨へのインプットとして発現するはずなので、循環器や呼吸器は運動器を支える「インフラ」と整理してこちらも別の枠組みとして捉える。
逆に「皮膚」は通常医学では運動器ではなく感覚器に分類することが多いが、人体とホールドの間に生じるフリクションというクライミングにおける重要パフォーマンス決定因子を考えたとき、皮膚はその最前線に位置しているためあえて「運動器」に分類してみた。
このあたりの分類が何が適切かは書きながら適宜修正していく。
パフォーマンスや怪我は7パーツに帰着する
運動を実現するものが「神経」「筋肉」「腱」「骨」「靭帯・支持組織」「関節・滑走組織」「皮膚」の基本7パーツなのだとしたら、理論上はスポーツの全てのパフォーマンスや怪我の問題は必ずこの基本7パーツのどこかに帰着させられるはずだ。
例えば、鉄棒で単純に腕を引く懸垂動作ならそのパフォーマンスのほとんどは「筋肉」が支配するだろう。
一方でジャンプなどのダイナミックな動作のパフォーマンスには「腱」もかなり寄与することが知られている。
例えば(Fukashiro et al., 1995)では、ホッピングという反復的なジャンプ運動では下腿の筋が生み出した仕事の約34%がアキレス腱に弾性エネルギーとして蓄えられ、筋の伸び縮みが少ない状態でも腱がバネのように働き運動を実現していることを直接的に測定している。
他にも(Kubo et al., 2000)では、腓腹筋と腱の関係を超音波で観察し、カーフレイズのような足関節動作を約3秒で1回行う遅い動作では総仕事量に占める腱の貢献度は20.2%であったのに対して、1秒に1回行う速い動作に切り替えると腱の貢献度が42.5%に上昇したと報告した。
だとするならばクライミングにおいてもデッドやランジやコンタクトのようなパフォーマンスはおそらく筋力だけでは説明が付かないと仮説を立てるのが自然だろうし、同じように腱からの寄与度が数値解明できるなら今後のトレーニングの方法論も変わるはずだ。
怪我の側面から見ても現在で7パーツのどこに問題があるのかはっきりわかっていることとそうでないことがある。
例えば捻挫は靭帯の損傷だ。
保存療法を取るのか靭帯再建術を取るのかの判断はあるにせよ、損傷部位と治療法は怪我の中では確立している方だ。
興味深い例を挙げると野球において肘の「尺側側副靭帯」の怪我は広く見られるが、トミージョン手術という身体の別の部位からなんと「腱」を取ってきて再建する方法が確立し、メジャーリーグにおける肘の怪我に対する価値観を一変させた。
一部ではトミージョン手術後に球速が上がったという報告もある。
一方で、多くのクライマーの頭を悩ませる指屈筋まわりの腱鞘炎はどうだろうか。
医学的な教科書において腱鞘炎とは滑液鞘(7パーツでは関節・滑走組織に分類)の炎症と肥厚が原因であるとされ保存療法が第一選択とされる。
ただ実際にクライマーが抱える腱鞘炎はおそらく「筋肉」「腱」「靱帯・支持組織(線維鞘や滑車)」も関係し、どのように保存療法を取っていくのかも多岐に渡る。
(Mohn et al., 2022)では65名の腱鞘炎経験のクライマーをあつめ10年分の臨床データベースを後ろ向きに検討し、クライミング負荷軽減、屈筋の軽度強化トレーニング、テーピング、ストレッチ、内服薬、などの保存療法の効果を調査した。
結果は75%が元のグレード以上に回復したとしているが、どの治療方法が効果的だったのかの結論は出ていない。
つまり指の腱鞘炎は損傷部位の原因やそれに対する治療法がまだ確立されていない分野だと言える。
いずれにせよ、原理的にはパフォーマンスや怪我の問題はこの基本7パーツのどこかに帰着させられるはずだが、どのパーツの寄与が大きいのかわかっていない分野や、わかっていたとしても向上方法や治療方法がわからないものもまだまだ多い。

〇:中心的に寄与するもの
△:補助的に寄与するもの
ただし〇△は僕のある程度割り切りで付けたので、厳密には正しくないと思われる。
クライミングの重要論点を運動器から考える
ここまで話が進むと、クライマーならいろいろなことが気になるはずだ。
“カチを握りこむ力には、運動器の7パーツがそれぞれどれくらい寄与するのか?”
“スローパーにぶら下がる力だったらどうか?”
“コーディネーション的なムーブも本当にこの7パーツの問題に帰着できるのか?”
など、誰しも興味が湧くだろう。
現時点では上記のような疑問にまだ医学は十分な答えを出してない。
ただ近年はクライミングに特化した研究もいくつか進んでいる。
例えば(Bourne et al., 2011)では15名のクライマーを集めて、深いエッジ(12.5mm)と浅いエッジ(4.3mmと2.8mm)を引ける力の間に相関が無いことを示した!
そして指の肉の厚さが厚い方が浅いエッジを引けることに相関していることも示した。
このことから、クライミングでのカチの保持力に関してはただの筋力だけではおそらく説明が付かないということがわかる。
このあたりテーマを掘っていくだけでも面白い。
例えばもしなんらかの実験で
「スローパーにぶら下がる能力を規定するのは、神経学習が30%、〇〇筋が30%、腱が20%、皮膚が20%」のようにわかったとしたら、それはアスリートにとっても一般クライマーにとってもトレーニング方法に革命をもたらすだろう。
このあたりのクライミング的な観点からの仮説は第二ステップに回すとして、ひとまず今回の記事では運動器を考える際の基本7パーツという大きなフレームワークを提示した。
これで次回以降に運動の話になったときに、それは基本7パーツのどこに関係している話なのか僕らは目線を合わせて議論ができるようになったのだ。
次回は循環器or呼吸器のフレームワークをまとめるか、具体的に「筋肉」などに関して「鍛え方」「治療」「クライミングとの関連」などを深堀る記事のどちらかを書いていこうかと思う。
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