「当たり前」の基準を上げる

「当たり前」の基準を上げる

最近つくづく実感するのは、僕らは「当たり前の檻」に囚われていてそれがパフォーマンスの向上を知らないうちに妨げているのではないかということ。
そんな「当たり前」の基準を上げる必要があるという話。

 
 


無意識に設定している「当たり前」の基準

クライミングでも何にでも当てはまるのだけれど、目標やそれに対する計画・練習量などを無意識のうちに自分の「当たり前」の基準で設定し、理想よりも低くなってしまっていることは頻繁に見られる。

・既にそのジムのボルダー4級が8割以上登れているクライマーが、”まだ3級を触るのは早い。4級の動きをしっかり身に着けて、4級を全て登れてから3級に手を出す”と言っていたり
・ボルダーで二段三段クラスが登れているのに、”今年の目標はリードで5.12aです”と言っていたり
・岩場で登っていて、まだ簡単な課題を2,3便出す時間も体力もあるのに、それをせずにクライミングを切り上げることが当たり前になっていたり

などなど、例はいくらでもあると思う。
もちろん、いろんな要素が絡んでくるのでスローペースで実力を挙げていくことが悪いとは言えない。
「年齢」「クライミング歴」「怪我のリスク」「家庭環境」etc…さまざまな事情があるだろうし、別にパフォーマンスを上げていくことだけがクライミングじゃない。
でももし、もっとフィジカルもテクニックもつけてパフォーマンスを向上させたいのに上手くいっていないとしたら、自分で知らないうちに設けている「当たり前の檻」に囚われてしまっていることが原因の可能性はある。

<グレードのステップを踏むべきかという、関連したブログ>

 
 

マッスルメモリーならぬクライミングメモリー

少し話が逸れるが関連した話題。


クライミングで長期のレストから復帰した時などに前と同じ程度のパフォーマンスまではすぐに戻るという現象がある。
筋トレでも同様の現象があり「マッスルメモリー」と呼ばれているのだが(科学的根拠がある話なのか僕は詳しくないが)、それにちなんでこれを「クライミングメモリー」と今名付ける。
このクライミングメモリーにも当たり前の基準が関連しているように思える。
長期のレストでフィジカルやテクニックは落ちているかもしれないが、目標や練習に対するその人にとっての当たり前は依然として失われていない。
例えばレスト前に三段が登れていて今は2級しか登れないとしても、その練習のやり方や量の基準は三段に設定されているので、結果として三段のパフォーマンスに再び戻るのは早いのである。
もちろん、著しく加齢していたり、怪我の度合いがひどかったりしたら別かもしれないが。

そしてこの話は逆に捉えることもできて、レスト後にパフォーマンスが戻っても結局依然と同じ程度までしか向上せず、限界突破できない原因であるとも言える。
僕も岩でトラッドクライミングを打ち込む時期が続くとインドアのボルダーの能力が落ちるのだけれど、そこからインドアで2週間くらい登りこむと前と同程度まではパフォーマンスは戻る。
でもやはりそこで成長曲線は止まる。
その一因は僕のインドアボルダーの「当たり前の基準」が勝手に設定されていて、それを超えた目標や練習内容になっていないからなのだろう。

<当たり前の檻、概念図>




「当たり前の檻」から抜け出すには

では一体どうやってこの当たり前の基準を上げて、檻から抜け出せば良いのだろうか。
その方法はたくさんあるのだろうけれど、経験則から2つ紹介。

 

基準の高い人を見る、一緒に登る

一つは実際に当たり前の基準が高い人のトレーニングを観察したり、一緒に登るということである。
知識もなく1人ぼっちでずっと登っていると、強い人々が当然のようにやっている所作、どのくらいの練習量で怪我をしない範囲でパフォーマンスが向上するのか、1年間でどのくらい上達することが望めるのか、などを知ることは難しい。
僕も特にボルダーをメインにやっている時は、経験があり、強く上手く、そして意識が高い人たちと一緒に登ることで自分の当たり前の基準をだいぶ上げることができた。
はっきり言ってしまうと、僕がジムで登る理由の大半は周囲の志が高いクライマーからモチベーションをもらって自分の基準を少しでも上げておくためだ。
周りと比べると僕はまだまだこの基準が甘い。

  

基準を上げてくれるパートナー

もう一つは結局は上記のやり方と似ているのだけれど、冷静に自分のパフォーマンスに対してその基準をアドバイスしてくれるパートナーを探すということだ。
例えば僕は妻のむっちゃんと登ることが多いけれど、どうしても僕の方が高いグレードに取り付くことが多いので一緒の課題・練習メニューにはならない。
それでもストレートに僕の登りに対してモノを言ってくれるので非常に助かる存在である。
例えば

・この間瑞牆で雨が降ってしまい、そこから急遽久しぶりにPump2へリードをしに行った時。僕は、”久々だし疲れているし5.12aくらいから順番に触っていくかー”と弱気に思っていたら、”限界に近い5.13やりなよ”と言ってくれたり

・鳳来に行った時も、”初めての岩場だし5.12くらいの名作ルート楽しもうかなー”とのんびりムードを漂わせていたら、”せっかく来たんだしガンジャ(5.13d)やったら?”と言ってくれたり

結局この時はPump2でも5.13a登れなかったし、ガンジャも完登できなかったのだけれど、当たり前の基準を下げずに挑戦できたという意味で本当に良かったと思う。

<鳳来ツアーブログ>

 

なんだか精神論のようだけれど、長期的にはこういう姿勢で差が付くと思うので心の片隅に自分も置いておきたい。

そしてこのような記事を書くことで、自分の基準を下げたクライミングを周りに見られたら、
“あ、ミキペディアの人、ブログでは基準上げろとか言ってたのに、めっちゃ楽なクライミングしてる”
と思われてしまうので、強制的に自分の基準を上げることができるという作戦。