地図を見ながら森を歩く

地図を見ながら森を歩く

ベテランちさんという東大医学部のYoutuberが面白くてよく見ている。
彼がサブチャンネルで「勉強のコツ」として挙げていた動画が、あらゆる分野の習得や上達に繋がる内容だったので紹介する。

要約すると、

情報を2種類に分けると、(場合によって異なる定義もあるが、ここでは)以下になる
 ・自分の五感を駆使して身に着けた情報=1次情報
 ・誰かがまとめたセオリーやノウハウ=2次情報

何かを上達しようと思うなら、1次情報と2次情報を往復し続けないといけない
常に自分の手足で1次情報を獲得しつつ、世の中に溢れる2次情報をリスト化して自分に何が必要か検証し続けることが大切

森の中を勘で歩くのは1次情報を獲得しているが効率が悪い。
一方で地図をただ読んでいるのは2次情報を得ているだけで、真の血肉にはならない。地図を見ながら森を歩くことが上達や成長に繋がる

誰しも聞いたことがある内容だし、僕自身も日頃から考えていることではあるが、この「地図を見ながら森を歩く」というフレーズがとてもしっくりきた。

<ベテランちさんのYouTube動画>


闇雲に1次情報を獲得するだけのクライマー

実体験はとても大切だ。
クライミングも頭だけで考えるのではなく、とにかく自分の手足で好きなように登ることでたくさんの発見がある。

しかしいつまでも自分一人だけで考えて登ることは(スタイルとして美徳とされるかもしれないが)、上達を主眼とした場合ははっきり言って効率が悪い。
ベテランちさんの言葉を借りるなら、闇雲に独自の効率の悪い登りをするのは森をただ彷徨っているだけのクライマーと言える。

クライミングに関する技術・トレーニング本がたくさん出版され、また多くのブログ・YouTube・SNSでトレーニング法などに簡単にアクセスできるこの時代ですら、ひたすら自分の勘で森を彷徨っているクライマーは一定数いる。
ホールディング、ムーブ、ポジション、練習内容・頻度、栄養といったものに対するある程度の最適解が出つつあり、それらに少し調べればアクセスできるにも関わらず何もわからずがむしゃらに登っているのだ。

このような彷徨える日々はフェーズによっては必要とされることもあるかもしれないが、しかるべき時にはしっかり地図を確認した方が良い。
(上達を度外視すれば、森の中を地図無しに歩くことは楽しい。そういう体験を僕は否定しない)

これは趣味でクライミングをやっている人だけじゃなくてトップアスリートに近いレベルでも、”適切な地図を与えられるコーチが付き、地図を見ながらトレーニングをすれば大成したはず”というクライマーは多いと思う。

 
 

2次情報オタクの頭でっかちのクライマー

一方で、自分では大してクライミングをしない/できないにも関わらず、やたらと知識面ばかり詳しい2次情報オタクのクライマーというのも存在する。
それっぽいアドバイスや理論を語るがその人自身がきちんとクライミングをしているところを見たことが無く、“ところで、あなたはそれできるんですか?やったことあるんですか?行ったことあるんですか?というかあなた誰ですか?”と言いたくなるタイプはネットにも現実にもたくさんいる
僕もこのタイプに陥りがちなので自戒の意味を込めて書くが、この手のただ地図に詳しいクライマーにはなってはいけない。
このクライミングの世界、知識それ自体に価値はない。
登ってなんぼであり、日々実践の連続だ。

ベテランちさんは動画の中で「お笑い」を例に挙げ、以下のように語る。

どの芸人が面白いかは誰にでもわかる。
アホな視聴者にだって誰が面白いかは直感的・動物的にわかる。
去年のM-1を見たら誰だってミルクボーイが一番面白いとわかる。
だから、何かを見てただ評価を下すことは簡単でつまらない。

至言だ。
クライミングだって、正しい動きとか理論をただ語ることは今や誰にだってできる。
僕もブログで講釈垂れている場合じゃない。
自分の足で森を歩いてこそ価値が生まれるし、それがクライミングなんだ。
ただの地図に詳しいおじさんに成り下がった時、僕はクライミングを辞めるべきだろう。

 
 

地図を見て森を歩くことはめんどくさい

とは言え多くの人は1次情報と2次情報の獲得のどちらか片方ばかりに偏ってしまうことは多く、よほど意識しない限り両輪を回し続けるのは大変だ。
僕はクライミングに関しては本やSNSから2次情報を獲得することは好きだが、例えばクイズの勉強などではどうしても暗記に偏りがちの2次情報の獲得はめんどくさがってしまい腰が重くなる。
もっぱら実践的にクイズアプリでひたすら対戦し1次情報を獲得強化する方に流れてしまい、いつまで経っても自分の苦手ジャンルを潰せず同じ間違いばかりしている。

ベテランちさんは、

1次情報と2次情報の往復というめんどくささを乗り越える力が「才能」

と言い、めんどくささを乗り越えるためには適切な環境に身を置くことが最も大切であると説いているのだ。

確かにクライミングでも実際に自分の周りに、「正しいトレーニング法を日々勉強しつつ、自分の頭で考えて、それを素直に実践し続けられる」クライマーがいることは大切だ。
クライミングの日本代表選手たちが互いに高め合いどんどんレベルアップするのも、特定のジムから多くの猛者クライマーが生まれるのも、クライミングにおける地図の見方と森の歩き方を互いに実践し合えるからだろう。
よほど強い信念があるか元来の才能が備わっていない限り、地図を見て森を歩くとは一体どういうことであるのかを自分一人で理解し実践することは本当に難しい。

 
 

終わりに

とまぁここまで書きつつ、これって9年前くらいに自分が書いたブログとほぼ同じ内容やんと思い、成長のしてなさを感じたり。
でもあの頃よりクライミングは実践して1次情報獲得(≒アウトプット)をしているはずと信じたい。

<クライミングを始めたばかりに書いた記事>

あと書いていて思ったのは、「自ら地図を作る/書く」必要はあるのかということ。
つまりクライミングなら、ルートセットや開拓、トレーニング方法の確立、技術本を書く、とかそいういう2次情報を根本的に生み出すことの意味合いや価値を自分の中でどう位置付けるかということ。。
ここは記事を改めてまた考えていることを書こうかな。