クライミングとの衝撃的な出会い

プロクライマー、趣味の域を超えてしまっているクライミング狂、クライミングにハマったばかりの人、 その全ての人にクライミングにハマる何らかのきっかけとなった出来事があるはずだ。
最初にゴールを掴んだ瞬間の体験が忘れられない、ある課題ができなくて悔しくてトライしまくった、撃ち込んで登れて感動した思い出に残る課題がある、などなど。
中にはじわじわとのめりこんでいて気付いたら生活の一部になっていたという人もいるかもしれないが。

僕は結構熱しやすいタイプで、この記事に書くようにいくつかの「クライミングとの衝撃的な出会い」があってその度に段階的にのめり込んでいった。
ブログにもちょこちょこ書いているし、粉末ラジオとかでも一部話していたりするけれど、あらためて自分自身で思い返してみる。

 
 


最初の衝撃 圧倒的な熱量と非日常感

僕がクライミングを本格的に始めたのは大学を卒業してからだが、大学は(ほぼ幽霊部員だが) 山岳サークルに入っていたので、実は在学中にクライミングウォールで登ったことが1度だけある。
その時はトップロープで大学内の壁を登ったのだが、「まぁまぁ面白い。けれど突き詰める趣味にはならないかなぁ」という印象だった。
ボウリング、ダーツ、フットサル、そういった、友人に誘われたらまぁやっても良いかという程度のアクティビティとして自分の中でカテゴライズしたと思う。

時は流れて大学卒業直前の秋。
アルバイトをしていた富士山の登山ガイドの繋がりで、クライマーの長門敬明さんがパキスタンのトランゴのネームレスタワーを登攀したスライドショーを観るきっかけがあった。
具体的なスライドショーの詳細な中身までは今となっては覚えていないところもあるが、その時に受けた衝撃は忘れない。
まず人が登るとは考えられない岩壁を何日かかけながら登るということ自体に驚いた。
そしてそのため膨大な時間と労力をかけて、己の全てを注ぎ込んで国内でのトレーニングに励む日々の様子、さらに登頂して感動のあまり泣いている長門さん。
なにかを成し遂げて感動の涙を流すという圧倒的な熱量、目の前に映し出されるこの世のものとは思えない非日常感、それに一発でやられてしまった。
この時に一緒にスライドショーを観た友人と二人で「これはやるしかない!」と思い立ち、僕らはクライミングを始めることを決意した。
彼も未だにクライミングを続けているので、このスライドショーは少なくとも2人の人間の人生を変えたということになる。

 
 

コンペの衝撃 人智を超えた強さ

卒業研究も終えてスッキリした後に、とりあえず大学のボルダリング・リードウォールで先輩から習ってクライミングを始めることにした。
それが2009年の春くらいだ。
その後もちょくちょくT-wall江戸川橋に行ったり、2010年に品川ロッキーがオープンしてからはそっちにも行ったりしたけれど、基本的にはほぼずっと自己流でむっちゃんや自分よりも初心者の友達と登ることが多かったように思う。
で、品ロキスタッフの森さんか誰かに薦められて「BLoC 2010 Rd.3 品川ロッキー」にエントリークラスでなんとなく出場してみることにしたのが初めてのコンペ。

これが本当に難しくて、10本中3本しか登れなくて順位は下から数えた方が早かった。
むっちゃんは10本中1本で最下位だった。
同じエントリークラスに出ている人を見て、「世の中にはこんなに上手い人がいるのかー」と感心してしまった記憶がある。
(その時の出場者は今見ると面白い。ケイタローさん、dadaさん、まなぷぅ、など)

しかしその後のレギュラー男子クラスにて半端じゃない衝撃が訪れる。
もう出場者全員が自分と同じスポーツをやっているように思えず、空でも飛んでいるかのような動き。
人智を超えた強さで、アーサー・C・クラークの「高度に発達した科学技術は魔法と見分けがつかない」を言葉ではなく心で理解できた。
あまりに発達したクライミング技術は舞空術と見分けがつなかいのだ。
決勝でのパフォーマンスも脳裏に焼き付いている、阿部さん、シマナオ君、heavy.ひでぽんさん、SINさん、大井先生、菅谷さん、全員が僕のヒーローになった。

そこからコンペというものにどっぷりハマってしまい、とにかく仕事が忙しい中でも頑張って登った。
けれどまぁそこそこは上手くなるけれど、決定的な成長ができない日々。
そして、2013年くらいからジャンボと出会って色々教えてもらったことが僕のクライミングに大きな影響を与えていることは間違いない。
(ちなみにたまに間違われますが、ジャンボとは横山さんではなく別のクライマーです)
当時、僕は心の奥底で「コンペのレギュラークラスに出ているような選手と自分は別世界にいる。どれだけ頑張ってもフィジカルもテクニックもあの域にいくことはないだろう」と考えていてしまったように思う。
しかしジャンボと登る内にそのマインドが切り替わった。
クライミングの本には書いていないようなトップクライマーで暗黙知化されているムーブ、その組み立て方、メンタルの持っていき方、フィジカルの鍛え方、課題の取り組み方、などなど今の僕が考えていることの基礎を叩きこまれた。

トレーニングにおいて影響・衝撃という意味ではライノでずっと一緒に登ったYou君からも大きく受けた。
とにかくYou君は当時の僕には考えられないフィジカルと持久力と底なしの体力であり、彼はそれに見合うトレーニング量をこなしていた。
トレーニングに対する根本的な捉え方が違って、例を挙げると、懸垂トレをしようとなった時に常人は「限界×3セット」とかをやろうとなる。
それに対して彼は「懸垂限界×10セット。でその後腕立て10種目を限界まで、でその後長モノやりましょう。あ、キャンパも入れますか」となる。
もちろんオーバートレーニングを推奨するわけじゃない。
効率と怪我のリスクは考えないといけない。
しかしこの圧倒的なトレーニング量を見せつけられたこと、それに少しでも食らい付いて登った日々は間違いなく自分を変化させただろう。
(このあたりの異常なトレーニングはいつか別記事にしよう)

というわけでジャンボとYou君という2人にも衝撃を受け、それ以外もライノを中心にたくさんのクライマーから大きな影響をもらいながらコンペに出たり、岩場でボルダーしたりする日々が続いた。
とか言いつつ結局はあの人智を超えた強さの域には達していないし、コンペでもろくな成績は残していないのだけれど、少なくともトップクライマーが同じ人間の延長上にいるんだと理解できるようにはなった、、、のかな?

 
 

ヨセミテの衝撃 超自然的な力

2016年にヨセミテで見た光景が、直近で受けた最も大きい衝撃だろうか。
当時僕らはほぼ99%ボルダリングしかしていなかったため、ヨセミテにも当然ボルダリングをやりにいった。
ヨセミテ渓谷に車で向かうと、最後の長いトンネルを抜けたあとに一気に渓谷内の景色が広がり一望できる場所に出る。
そこで目に飛び込んできたエルキャピタンやハーフドームはものすごい力を持っていた。
まず見ただけで何か超自然的なエネルギーを感じてしまった。
僕に近しい人というかこのブログの読者でもわかると思うが、僕は基本的に科学的でないものは信じないし、スピリチュアルなものは嫌いだ。
神秘的なエネルギーとか、死後の世界とか、霊とか、血液型占いとか、水素水とかが大嫌いだ
でもエルキャピタンからは本当にそのような超自然的な何かを食らってしまったのだ。
科学的に捉えればたまたまそこに形成されただけのただの岩なのだが、それ以上の何かエネルギーを感じてしまった。
そしてクライマーとしての目線で捉えても、衝撃的だった。
あそこを登るクライマーがいるのか。
これまでの歴史でどれだけの人があそこを登ろうとチャレンジしてきたのか。

その年、ヨセミテでミッドナイトライトニングやフォースなどたくさんの素晴らしいボルダーを登ったが何か満たされない気持ち。
エルキャピタンなどに囲まれているのに、僕らはこの谷底で何をしているんだという焦燥感。
そしてもうこれは自分たちの気持ちに素直になるしかない、ここからできることをやるしかない、そう感じてむっちゃんと2人でビッグウォールという新しい挑戦をすることを決めた。




と、なんだか結局思い出話ばかりになってしまった。
あんまり思い出ばかり振り返って今にフォーカスしないのは好きじゃないけれど、一度自分のためにも整理して書いておきたいと思ったので。

それではまた明日!

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