クライミングの課題の長期的な旬、短期的な旬

クライミングの課題の長期的な旬、短期的な旬

今月発売の『Rock Climbing 007』で室井登喜男さんが瑞牆で「阿修羅」や「インドラ」を開拓した話の中でこんなことを書いていた。

初登はあっさりしたものだった。

ホールドが出現したときのハイテンションを維持したまま、上部をきれいに掃除して、ムーヴを組み立て、その日のうちに「阿修羅」と「インドラ」を初登した。

やや自慢話みたいだが、惜しむらくは、すでにその頃には十分な実力をつけていたため、すべてがその日のうちに完結してしまったことだ。

もしその時の実力が、何日かかかるくらいの程度であったなら、初登したときの喜びは、より一層素晴らしいものであったかもしれない。

この感覚に共感できるクライマーも多いだろう。

いわゆる課題の“登り時”“旬”と呼ばれている話だ。

クライミングの課題の素晴らしさは課題自体それだけで決まるものではない。

自分がその課題を登る過程でどのような葛藤や努力があったのか、課題と自分との間にどのようなストーリーがあったのか、そういったものが課題をより一層素晴らしいものにする。

その意味ではさっくり登れてしまったものよりも、実力ギリギリくらいの自分にとって旬な課題の方が登った時に達成感を得られることが多いだろう。

言ってしまえばクライミングはあくまで自己満足なので、激強クライマーが五段を登った喜びより、初中級者が3級を登った喜びの方が強い可能性だってある。

 

僕自身を振り返っても、1年半前のヨセミテツアーで登ったThe Forceという課題が丸7日かかった上に最終日でギリギリ登ることができたまさに自分の旬な課題であったため、おそらく今までの自分のクライミングで一番印象に残っている。

別に当時の自分にとってはV9というグレードは最高グレードではなかったけれどもThe Forceと自分の間に生じた試行錯誤やストーリーが僕にそう思わせているのだろう。

できることなら常に限界にチャレンジして旬な課題を追い求めていく姿勢を持っていたい。

クライミングの聖地で感じたこと、その2

 

 

一方で旬を過ぎている課題であっても、オンサイトできたり数少ないトライで登れるとものすごい嬉しい時もある。

各ムーブを洗練させればそれほど苦も無く登れるような課題だとしても、ムーブを自動化しまくる前に現場処理や多少の荒々しいやり方で押し切って全力を出して最後の一手を掴んだようなクライミングもいつまでも思い出に残る。

ようは自分の実力に対して多少簡単な課題であっても、集中して登るべきチャンスできちんと登りきることで充実したクライミングになるのだ。

これを僕は”短期的な旬“と呼んでいる。

対応させれば冒頭で書いた旬は“長期的な旬”と言えるだろう。

 

なので長期的な旬にマッチしていなくても短期的な旬を捉えて完登できれば満足感はあるし、逆に長期的な旬の課題であっても決めきるべきときに決めきらないでいつまでもだらだらとフォールを繰り返してしまっては短期的な旬を逃してしまい最高潮の完登の感動は味わえないと感じる。

例えば僕にとってはこの間城ヶ崎で登れたマリオネットは長期的な旬も短期的な旬もガッチリ捉えることができたため、とっても思い出深い課題となった。

ナチュラルプロテクションかつルーフクラックの5.12aというグレードは自分にとって限界に近かったが、2日目のファーストトライで本当に死力を出し尽くして最終ガバを掴むことができた。

一方で振り返るとスコーピオンは5.12bだし明らかにマリオネットよりも難しかったので長期的な旬は僕にとってピッタリだったはずなのだが、3日目のファーストトライで最終ガバ取りで落ちたその瞬間、「あぁ、登るべき時に登れなかった。短期的な旬を逃した」と強く感じた。

その後カムの回収便で1便追加する必要があったのでそこでムーブがより洗練され、次のトライでなんとか登ることができたが何度も終了点に立っていたためどうしても多少の作業感を感じざるを得なかった。

もちろん長期的な旬はぴったりの課題だったので、とっても嬉しかったことには違いないのだけれど。

 

まぁつまりは雑にまとめると、自分の限界ギリギリにあった課題を常にチャレンジするべきだし、登るべき課題はきちっと少ないアテンプトで決めきるような集中したクライミングがしたいよね、というとっても当たり前の話なのでした。

 

 

<The Force>