「変えられること」「コントロール可能なこと」にフォーカスする

「変えられること」「コントロール可能なこと」にフォーカスする

「過ぎ去ったことは変えられないから気にするな」

「コントロール可能な変数にだけ集中しろ」

こういった言葉は、あらゆるところで言い尽くされている。
しかし、最近クライミングを通してこの言葉の意味を身をもってひしひしと実感するので自分なりに書いてみる。

 
 


変えられない結果や過去に囚われない

・絶対に登るつもりの全身全霊をかけた本気トライで落ちた
・勝負をかけたコンペなのに減量が上手くいかなかった
・海外ツアーの初日で怪我をした

状況や深刻さの違いはあれど、クライミングをやっているとみな様々な失敗に直面する。
もう少し大局的な観点では

・もっと若いときからクライミングを始めていれば良かった

みたいな人生レベルで失敗したと思っているクライマーもいるかもしれない。
このように失敗を痛感する局面では、過去の行いを後悔しいつまでも引きずってしまうことも多い。
しかし僕はこのようなとき、失敗から何か糧となることを見つけて次に活かそうとは思うものの、その失敗自体は後悔しないようにしている
なぜなら至極当たり前なのだが、失敗した事実は変えることができないからだ。

「全てを出し尽くした本気トライで落ちてしまったが、身体の回復や今後のスケジュールと冷静に照らし合わせて、今日もう一便出すべきか否かを判断する」
「いつもより重い身体だけれど、もう逃げ場は無いのだから体重のことは忘れてコンペに臨むしかない」
「まずきちんとした医者にかかる。その上で帰国の必要がないなら、怪我をしていても何か海外ツアーでやれること感じ取れることを最大限探す」
「若さは無くても今クライミングをやりたいということは事実。何事も遅すぎるということはないから、自分のクライミングに積極的にチャレンジする」

などと過去には囚われずに、常に今後の自分の便益をどう最大化できるのかという合理的な思考と判断をしていきたい
特にたくさんの時間や金銭を投資したことが失敗すると、その後冷静な判断ができなくなることが多いので注意が必要だ。
(いわゆる、サンクコストに囚われている状態)

クライミングに限らず、日常生活でも過去の失敗を引きずってしまい合理的な行動ができていないことはよくある。
例えば、打ち合わせに寝坊してめっちゃ遅刻することが確定したとき。
大急ぎで準備して、電車に乗った後もなぜか電車内でずっと焦ってしまうことがある。
これも本当に意味がない。
自分がどんなに焦っても電車の速度は上がらない。
着く時間は変わらない。
打ち合わせの相手に謝罪連絡をして何時に着くかを知らせ、降りる駅の改札出口に一番近い扉を調べたら、そのそばの椅子でリラックスしてどんと構えていれば良いのだ。

 
 

コントロールできない変数・物事があることを認識する

過ぎ去った物事でなくてもコントロールできないことはたくさんある。
確率的なこと、一人の人間の影響が及ぶ範疇を超えていること、などだろうか。

例えば天気。
今は梅雨の時期だしクライマーにとっては悪天が続くけれど、天気にイライラしたり文句を言っても仕方がない。
「くそーなんで雨なんだよ!」と怒りをぶつけても晴れはしない。
天気という一個人には全くコントロール不可能なことに気を揉むことは本当に時間の無駄
だ。
僕らにできることは、
・雨になりそうな時期なら登る日をフレキシブルに変更できるようにしておく
・雨でも登れるようなエリアを見つけておく
・精度の高い天気予報を知る
・雨でも登れる実力を身に着ける
とかそういう対処法しかない。

他には、他人の性格や行動もコントロールできないし、しない方が幸せだと最近感じる。
何度かブログでも書いているが、妻でありクライミングパートナーでもあるむっちゃんと僕は似ているようで細かな性格や行動パターンが真逆なこともある。
例えばむっちゃんは朝に弱かったり、岩場についてもトライまでゆっくりと時間をかけることが多い。
朝型でせっかちな僕は、昔はこのことに苦言を呈したり、どうやったら変えられるかと考えたこともあったけど、人の性格や行動は遺伝子とか長年根付いた生活習慣に基づくので根本から変えることは不可能だ。
それよりはお互いの性格のままで共存できる落としどころに歩み寄った方が良い
僕よりもむっちゃんの方が夜に強いので、朝は僕がガンガン登って、夕方から夜にむっちゃんが登るとか、そういう工夫はいろいろとできる。

一般社会でもコントロールできないことに文句をいったり、エネルギーを使ったりしてしまうことはある。
例えば国の法律とか制度とかも僕らがコントロールできる範疇を明らかに超えているから、文句をSNSとかでただ垂れ流しても意味がない。
自分が議員になる、めちゃくちゃ影響力をつけて世論を扇動する、莫大なお金でビジネス面からどうにかする、などをしないと意味がない。
そして本当に我慢できないほど不満なら、罰せられることを覚悟で法律に従わないとか、日本を出ていくとか、そいういうチョイスしか基本的には残されていないはずなので合理的に冷静に選択すればよい。

 
 

まとめ&補足

結局はまとめると

“「過去の変えられないこと」や「確率的だったり巨大なルールだったりでコントロール不可能なこと」は受け入れて、「変えられること」「コントロール可能なこと」に常に合理的にフォーカスしよう

という当然の結論なのであった。

でも話は少し違うけれど、西野亮廣さんの近畿大学のスピーチの「過去は変えられる」とかの考え方も面白かった。
たしかにある意味で、過去は自分の都合の良いように書きかえられるのだ。

それに常に合理的で効率的な行動や会話だけでも疲れてしまうことも事実ではある。
どうしようもないけれど天気とか政治とかに文句を言うことだって、ある意味人生の楽しみでもあるというのもわかる。
まぁストイックにやりすぎないくらいで生きていきましょう。
ではでは。