僕がクライミングで言わないように・やらないようにしたいこと
めちゃくちゃ更新が空いてしまいました。
書きたいネタはたくさんあるのですが、なかなか筆が進まず。
その要因としては、「記事に対するプレッシャー」みたいなものが多少なりともあると思うのですよね。
“こんなクオリティの低い記事書いて意味あるのか”
“結局、言いたいこと何なのこの記事。So whatじゃね”
“これみんなが求めてる内容じゃなくね”
などなど。
でも、これは「ただの」僕のブログだ。
mickipediaなんだ。
くだらないことを含めて好きなように書こう。
というわけでクオリティよりも更新頻度を優先させたいという宣言。
(裏を返すと、今後のクオリティに対する保険。笑)
ようやく本題。
昨年のサマスマに出た後も下のような記事を書いていたので、今回も何か戯言を書こうかと思う。
<自己規範>
ブログ復帰一本目はゆるくいきたいので。
というわけで、今日は僕がクライミングで言わないようにしたいことや、やらないようにしたいことを書いてみます。
注意して欲しいのはこれはあくまで「僕が」意識していることなので、別に他のクライマーに強要したいわけじゃないということです。
所詮ただ壁や岩を登る遊びなので、他人に何かを強要するものでもないし。
それと、まだ「したいこと」なので現時点では恥ずかしながら全然できていないこともあります。
またまた保険発言が出たところで、本当に本題に入ります。
<僕がクライミングで言わないように・やらないようにしたいこと>
・怖い
クライミングは危険なスポーツだ。
細かい統計は知らないが、周りでそれなりに年数をやっているクライマーで無事故・無怪我の人を僕はあまり知らないからスポーツの中でも事故や怪我が多い部類に入るのではないかと思う。
それ故に危険を察知する能力は大切で、「怖い」と感じるということはとても重要。
でも僕は課題が「怖いからやらない」「怖いからできない」と簡単には言いたくないと常々思っている。
それは自己のクライミング能力が高ければ危険を回避して登ることができると考えるからだ。
要は「課題が怖いからできない」ではなく、正しくは「僕のクライミング能力の低さ故に危険を回避できない可能性があるから、登る自信が無い」と言うべきなのだと思う。
僕はハイボルダーにあまり取り付かない傾向にあって、よく「ハイボルダーは怖いから絶対やらない」と言っているのだけれど本心は違う。
僕は深層意識では強烈にハイボルダーに憧れているのだ。
それを認めよう。
それでもまだ怖いからやらないけど。
・気持ち悪い
僕の口癖みたいなもので主にインドアで課題に対して「(ムーブが)気持ち悪い」と言ってしまうことがある。
特に僕は「このポジション不安定だ」「落ちるかもしれない」と感じると手を出さずに落ちるという悪い癖が未だに抜けきれず、そういった時に「なんか気持ち悪かったんだよね」などと言うことがある。
しかしこれも本当は「課題が気持ち悪い」ではなく「自分がその動きに対応できていない」だけなのだ。
「ポジションが不安定で気持ち悪いから手が出ない」なんてふざけていると思う。
ムーブの引き出しを増やして気持ちの良いポジションに入るか、不安定の中でも手を出して次のホールドを止める強さを身に着けるのがクライミングなんだ。
決してセッターを批判して気持ち悪いと言っているのではないのだけれど、なるべく「全ての責任は自分にある」というモットーで登っていきたいものです。
(まぁでも事実として大半の人が気持ちが良いと感じるムーブと、気持ち悪いと感じるムーブはあるので、営業用の課題を作るという立場からはあまりに気持ち悪いムーブの課題ばかりあるのもどうかと思うけれど)
ロクスノNo.51で安間佐千さんが書いてあることは非常に共感できる。
自分が「この動き嫌だ」と感じる範囲を小さくする。
(中略)
実際のクライミングでは、「この動き嫌だ」と感じる課題で、どうにかこうにか気持ちいい動きを見つけていくことだ。
・痛い
クライミングは痛いものだ。
痛くても、握れ。
・こんなの出ない
これも気持ち悪いとちょっと似ているのだけれど、誰かが作った課題に対して「こんなムーブはコンペで出ないよ」などと言ってしまったり思ってしまったりすることがある。
でもそれは出来ない言い訳に過ぎない。
実際に最近のコンペでは想像を遥かに超えたムーブが出るし、外岩でもやったことのないムーブは沢山あるだろう。
そのムーブが出るか出ないかを決めるのは僕じゃない、セッターなんだ。
そしてセッターの意図はわからないのだから、「どんなムーブでもコンペで出る可能性がある」という気概で日々のトレーニングに臨む必要がある。
同様に「この課題ただ保持するだけじゃん」「この課題遠いだけじゃん」なども言いたくない。
ただ保持することもできないのにコンペで勝てるのか。外岩で高難度が登れるのか。
ただ遠いだけのムーブができないということはすなわちただ弱いだけじゃないのか。
この辺の「ただ保持する」「ただ遠いムーブをこなす」というのは、オープンクラスで出るようになって自分が最も成長させないといけない点ではないかと思う日々。
・課題をすぐ諦める
出来ない課題にこそ成長の余地がある。
それに誰かに作ってもらった課題をすぐに諦めることは失礼だ。
あきらめたらそこで、、、。
・登り方の強要
これは最近周りに結構やってしまっているので気を付けたい。
クライミングは自由だ。
ルートさえ守ればどう登っても構わない。
にも関わらず僕は結構登り方を強要してしまっているような発言をしてしまうことがある。
「そんなムーブ誰もやってないですよ?他の人の登り見てますか?」
「普通に考えたらそのムーブにならないでしょ?」
などなど。
これに加えて奇妙な「漢気ルール」何ぞ持ち出したりしたら余計たちが悪い。
マッチ禁止、ヒール禁止、ムーブ破壊禁止、、、。
もう一度言う。
クライミングは自由だ。
登れれば良い。
登れなくても良い。
・正規ムーブを試さない
とは言え、上で書いていることと矛盾するようだけど個人的には特にトレーニングの段階では最初の1トライは正規ムーブを試したい。
正規ムーブというよりは「登れる確率が高いムーブ」、もっと言うと「将来的に自分のテクニックやフィジカルが十分な域に達した際に、登れる確率が高いムーブ」とした方が正確かもしれない。
自分のクライミング能力に不安があるとどうしても、小細工を使ってムーブを破壊したくなる。
というより高難度の課題に面すると正規ムーブでは到底登ることができないんじゃないかという思考になってしまう。
これがクライミングの成長を妨げると思う。
まずは王道で試す。
何度か試す。
それでもできなければムーブを変えて何とか登る。
このあたりは以前も以下のような記事を書いたので参考になれば。
<クライミングにおける「最も弱い環の原則」の”悪循環”>
・わかりもしないグレードについて語る
なんだかんだ言ってもクライミングにおいてグレードは切り離せない議論だ。
登った課題のグレードがいくつかというのは誰でも大なり小なり気にしてしまう。
でもそこで安易にグレードについて知った風な口を利きたくない。
僕もインドアでも外岩でそれなりに登れるようになってきて
「この1級は悪すぎる」
「これは初段もない」
などと口走っているかもしれない。
でも本当にグレードのことがわかっているのかと自問しなくてはならないと思う。
僕なんて小川山のスパイヤーの4級が登れない実力なのだ。扇子2級も登れていないのだ。
初段になんてなれば文字通り手も足も出ない課題が沢山ある。
そんな僕に初段が語れるだろうか。
小山田大さんがブログで参考になることを書いている。
さて今回完成させた課題のグレードについてだが
正直良く解らない。
今まで登った中では最も難しかったのは確かで、それで言うなら16という事に
なるのだが、そもそも比較するサンプルが少な過ぎるので全く当てにならない。
比較対象となる15というグレードを良く理解するには少なくともそのグレードを50本くらいは登らないと理解出来そうもないが、自分が登った本数はそれに遠く及ばない。
僕の場合数えてみたら、1級は36本、初段は33本、二段は8本、三段は1本だった。
そう考えると1級までなら上のグレードも合わせると何とか語れるかもしれないが、初段や二段に関してはまだまだ語る資格がないということだ。
グレードを語るときは慎重に、そして謙虚にありたい。
以上、なんか適当に語り散らしてしまいました。
ではまた!
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