クライミングの内省と他者との繋がりのバランス
今日はライノ&フィッシュアニバーサリーというお祭りコンペがあった。
毎年のことだけれど、チームで連帯感を持ってクライミングをするこのイベントはジムスタッフをやっていて良かったと思える瞬間の1つだ。
特に今回感じたことは、クライミングの「内省」と「他者との繋がり」のバランスがとても丁度良いところが僕は好きだということだ。
まずクライミングは本質的には自分自身と深く向き合う行為である。
どうやって目の前の壁や岩を自分の身体を使って登るのか。
登るために必要なことは何なのか。
もし今すぐ登れないならば、明日から何をすれば将来的に登れるようになるのか、これまでの何がまずかったのか。
今後自分はどのようなものを登っていきたいのか。
などなど、日々内省をしながら自分自身を高めていき達成を繰り返す遊び/スポーツだと思う。
一方でクライミングには他者と繋がり合ったり協力したりする要素ももちろんある。
マルチピッチなどでは文字通りパートナーと繋がり合って登攀するが、ボルダリングであっても同じ課題をセッションすることは自分一人だけで登ることとは違う。
相手に先に登られれば悔しいけれど、真剣に取り組んでいる同士だからこそ相手が登ったことにも賞賛を惜しみなく送れる。
今回のイベントのように日頃同じジムで登っている仲間同士でチームで一丸となって戦うということもある。
岩でも誰かが登ったルートを再登することでそこから初登者の意思を感じ取り、その課題の歴史の一部に自分も少しでも入り込んだかのような気分にもさせてもらえる。
コンペだって自分自身とこれまでどれだけ向き合ってきてトレーニングしたきたかを表現しぶつけ合う場なのだけれど、あくまで他者がいて競争することで成り立っている。
もちろんどんな遊びやスポーツでも極端にこのどちらか一方に振り切れているということはない。
将棋や囲碁などの盤上ゲームは相手がいて成り立つものなので他者との繋がりがないわけではないが、究極的にはその盤面上の神の一手を探求する行為なので内省の要素がもっと強いだろう。
サッカーなどのチームスポーツも個人の技術を高め合うことに重きは置かれるのだろうけれど、チームとしてどう連携するか駆け引きするかという比重がもっと強いのだろう。
クライミングはこの内省と他者との繋がりのバランスがとても丁度良くて、自分に合っていると感じる。
自分自身の追及も楽しいし、他人の記録に感動したり、歴史を感じたり、みんなでワイワイやったりするのも楽しい。
クライミングのそんなところが僕は好きだ。
<夢中になり過ぎてみんなの写真が一枚も無いのでアニバーサリーの壁の写真>
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