クライミングで、面白い課題って何だ? ~主観編~
- 2019.02.08
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以前、「面白い課題って何なのかミキペディアで書いてよ」と言われたことがある。
当時は自分の中でも確固たる答えが見つからなくて上手く言語化できる自信が無かったため、良いテーマだとは思ったものの、記事にすることを保留し続けてしまった。
しかしこの毎日ブログの勢いなら書ける気がする。
というか、元々「面白い課題」に対する答えなんてないのだから、思ったことを書いてみんなからリアクションをもらえば良いのだ。
というわけで毎日更新8日目。
まず今日の記事では僕の主観で「面白い課題」というか好みの課題を書いて、後日後編でもう少し客観的・俯瞰的に面白いとはなんぞやということをまとめたいと思う。
前提としてここでいう「課題」とはフリークライミング全般、つまりボルダーからトラッドまでそしてインドアからアウトドアまでの課題を幅広く対象に論じるが、自分自身が課題を触ってきたり作ってきたりした数の経験からインドアボルダーをメインとしてイメージして記述することが多くなる。
僕が日頃から「面白い」と思える課題の特徴を挙げると大きく以下の3つだろうか。
・無駄がない
・前後の動きが入り立体感がある
・自分の限界に近い強度や動きである
無駄がない
1つ目の特徴は「無駄がない」こと。
ここで言う無駄がないとはいくつかの意味があるが、1つはホールドそれ自体の特性やシェイプを無駄なく使っているということ。
例えば、多くのクライマーが使用しないフットホールドが配置されている、保持面が明らかに2つあるホールドを配置しているのにその内の一方しか使っていない、などは無駄がある課題だと感じてしまう。
チェーホフが「ストーリーには無用の要素を盛り込んではいけない」という意味を込めて、“物語に銃が登場したなら発砲されなければならない”と言ったのと同様に、課題中に特徴あるホールドが出てきたなら意味があるように使われなければならない、と僕は考える。
なので、ダミーとしてのホールド配置なんてもっての外だし、使うと難しくなるようなホールドがあるようなミスリードされている課題も美しいとは思わない。
無駄がないとは、「課題全体を通して冗長なパートがない」という意味でもある。
例えばランジの瞬発力が見たいのにランジに入る前がダラダラと異様に長かったり、ランジを止めたのにその後ゴールまでまた不要な数手が続くような課題は場合によっては無駄があると思ってしまう。
例を挙げると、2018年のBJC男子準決勝1課題目などは無駄がなくて本当にカッコ良い課題だと感じる。
2つ並んだスクアドラのフィヒトル(黄色いベロ)の余すところのない使い方、そしてピンチと抑え込みのパワーへの特化。
非常にスッキリしていて、これぞボルダーだと言えるだろう。
<完登する強すぎな選手>
<2018年BJC準決勝>
https://www.youtube.com/watch?v=VIOhGM5m42k
岩の課題でも例えば瑞牆の「阿修羅」は無駄がない典型である。
美しいクラックをなぞるかのように左右左と手を進めて行ったあと、奇跡的な配置のポケットを辿り、最後に緊張感抜群のマントル。
神様が作ったとしか思えない。
またルートでも瑞牆の「ナイト・ディジィ・ダンス」もその無駄のない構成に舌を巻いてしまう。
アップに最適な出だしから、カサメリらしさ抜群の嫌らしいトラバース。
その後、完全にはレストのし切れないガバを経て、細かいホールドを次々に繋いでいく。
よれたところで強烈なラストの右手取りがあってそのままリップへフィニッシュ。
思い出すだけでも手に汗握るルートである。
<阿修羅>
<NDD>
前後の動きが入り立体感がある
僕は自分で作る課題が「平面的」な動きになりがちだ。
正対で壁にぬーっと入る動きが得意なことが影響しているのかもしれないが、こういう課題は自分自身で単調だなと感じてしまう。
かといってやたらと3Dな立体感で課題を構成すればそれが良いというわけではない。
岩において城ヶ崎のように3D課題をやるのは身体全体をくまなく使うので大好きだが、インドアで城ヶ崎のワイドクラックみたいな課題ばかりが並んでいたらそれは突飛過ぎる気がするし美しくすることは難しいだろう。
良い課題は一見平面的な構成の中にクライミング的な細部の「前後の動き」が入って絶妙な立体感が出ているように思える。
言葉にするのは難しいけれど。
クロス・切り替えし・フックが丁度よい塩梅で混ざっていたり、単純なデッドでも僅かに身体を捻ったり手前に出てくるような一手だったり、タメや引き付けで前後運動があったり、そういう課題が登っていても見ていても気持ちが良い。
例えば先日の2019年BJC男子決勝第2課題はフィジカル全開に見えて、前後の立体感があって好きだ。
初手の飛び付きで身体がねじれて、次の右手デッドも大きなフットホールドを上手く使って身体を収めて、最後は飛び出た黒いハリボテに乗っていってゴール取り。
こういう課題が登れたらきっとものすごく気持ちが良いだろう。
<あっさり仕留める藤井選手>
<2019年BJC男子決勝>
岩ならヨセミテの「ミッドナイトライトニング」はまさに前後の動きがあるボルダーで面白かった。
第1核心のライトニングホールド取りは見上げるとちょっと手前に出るような感じで飛ばないといけないため、単純なデッドとは違う。
そして最後にこれでもかと壁に入っていく唯一無二のマントル。
歴史的な意味合い以上に、内容としての面白さがミッドナイトライトニングを特別な課題にしているのだと思う。
<ミッドナイトライトニング>
トラッドとスポートの混合ルートである瑞牆の「画竜点睛」も素晴らしい立体感で登りごたえがあった。
本当に龍の背中を登っている気分になる。
自分の限界に近い強度や動きである
最後はその課題が「自分の限界に近い強度や動き」である場合だと思う。
どんなに内容が単純であったとしても、自分にとってギリギリだと楽しい。
たぶん単純なランジの1手、キャンパシングの1手、極論ビーストメーカーにぶら下がる、とかでも自分にとってできそうもない限界ギリギリの動きは楽しいし、できたらものすごく嬉しい。
結果として課題も楽しかった、面白かった、と感じると思う。
結局のところ「できなかったことができるようになる」というのはクライミングの本質的な面白さから絶対に切り離せないのだ。
つまり、これは後編で少し深く触れようと思うけれど、課題の面白さというのは課題単体では決まらない。
クライマー、観客、コンペの展開、歴史的経緯、というのも課題を面白くする要素にもなるし逆に面白く無くす要素にもなる。
例が瑞牆ばかりで申し訳ないが「皇帝」という実質2手の低い二段のボルダーがある。
この課題はパッと見ではお世辞にもカッコ良いラインだとは言えないだろう。
さらに指先の保持力がある人にとってはおそらく二段に感じないため登りごたえもそれほどないかもしいれない。
しかし当時の僕にとってはこの2手が本当にギリギリだったし、この課題を登るために何回トライしたかわからない。
瑞牆に来るたびに触って「まだできないか、、、」と自分の足りなさを痛感し、登れたときにはその少しの成長に喜びを感じた。
自分にとってギリギリの強度であったこと、そしてそれが克服できたことで、皇帝は僕にとってとても面白い特別な課題になったのだ。
「面白い課題 主観編」はこのようにまとめてみた。
天邪鬼なので書いている内に
“とは言え、超平面的なフェイス課題もカッコいいよな”
とか
“多少冗長でも、総合力をこれでもかと必要とするような課題も面白いよな”
などと感じてきてしまったが、まぁ自分の考えはだいたい書けたと思う。
後編として「面白い課題 客観編」も書いてみる予定なので、お楽しみに!
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