クライミングにおける認知的不協和をどう解消すべきか
今回は、昔に書いたセルフハンディキャッピングの記事に続く、クライミング心理学第2弾。
テーマは「認知的不協和」です。
認知的不協和とは
まず認知的不協和とは何かを説明しますね。
手元の『社会心理学』(岩波書店)にはこう書かれています。
さまざまな対象に対してわれわれがもっている知識や信念・意見を認知要素と呼ぶ。
このような認知要素の間の関係に注目し、認知要素間に矛盾がある場合に認知的不協和という不快な緊張状態に陥る。
さらに、人はこの不快な緊張状態を解消して矛盾のない協和な状態にしたり、不協和をさらに増大させるような状況や情報を積極的に回避する。
例を出した方がおそらくわかりやすいですね。
本の例をそのまま載せますが、たとえば、喫煙者にとって「喫煙は健康を害する」という認知と「自分はタバコを吸う」という認知は不協和な関係にあります。
これがまさに認知的不協和に陥っている状態です。
この場合、一般的に人は以下の3つの方法で不協和を解消しようとします。
1. 認知を変える
喫煙の危険性はまだ証明されたわけではない、調査方法がずさんだ、などと考える
2. 新しい認知要素を加える
喫煙は会話で間がもたないときに役立つ、緊張がほぐれる、などと考える
3. 不一致の重要性を低める
放射能、環境汚染などに比べれば喫煙の危険など取るに足らないものだ、などと考える
まぁざっくり言うと、自分の考えや信条を都合の良い方に捻じ曲げてしまう、ということをしてしまうわけですね。
イソップ童話の「酸っぱいブドウ」などはまさに認知的不協和が題材になっています。
キツネが、おいしそうなぶどうを見つけて食べようとして跳び上がりますが、ぶどうは高い所にあり届きません。
何度跳んでも届かないため、キツネは怒りと悔しさで「どうせこんなぶどうは、すっぱくてまずいだろう」と言って去ってしまうのです。
まさに「ぶどうがおいしそう」という認知と「ぶどうに届かない」という認知が不協和関係にあるところを、「ぶどうは酸っぱいはずだ」と認知を変えて不協和を解消しているのです。
認知的不協和は行動を持って解消すべき
で、ここからは僕自身の考えになるので合っているか間違っているがわからないのですが、認知的不協和に陥った時に安易に考えや信条の認知を変えるというやり方に走ってしまうことが多いように思います。
例えば喫煙の例では、認知的不協和を解消するには「タバコを吸うのを止める」という行動を持って認知を変えても良いわけです。
しかし、行動を変えることは往々にして難しいので、「喫煙が健康を害する」というおそらく正しいであろう認知の方を無理矢理に変えたり捻じ曲げたりしてしまうわけです。
ぶどうの例だって、本来は「ぶどうに届かない」という認知を行動を持って解消すれば良いわけです。
つまりキツネはジャンプの練習をして、どうにか「ぶどうに届く」ように努力すべきなのです。
でもまぁ実際には本当に「ぶどうが酸っぱい」可能性もあるので、いつもがいつも行動を持って認知を変えることが正しいとは限りませんが。
自分のクライミングでの過去の例
さて、前置きが長くなりましたがいよいよクライミングの話に入りましょう。
昔話を少しします。
僕がライノでよく登るようになった3~4年程前ですが、とにかく強傾斜が苦手でしたしキャンパシングなどの動きが大嫌いでした。
なので「緩い傾斜の方が面白い。足を残してこそクライミングだ」などと思い込み認知的不協和に陥らないようにしていたし、実際にそのようなことを言っていたように思います。
一方でスタッフのYou君は強傾斜大好きで足を切るキャンパシングのような動きを大得意としているのですが、彼と憧れるクライマーの話をした時に、You君は「小山田さん、オビさん」などと力強さの象徴のようなクライマーを挙げていたのに、僕はあえて緩傾斜に強いクライマーの名前ばかり挙げていた記憶もあります。
でも本当の心の底では「強傾斜で足をバッと切って、背中で耐えるような動きに憧れるなぁ」と思っていたはずなのです。
クライマーは認知的不協和をどう解消すべきか
しかしやはりコンペに出たり、普段のセッションをしたりする過程で、強傾斜に強くなることや、ある程度足を切って耐えるムーブができるようになることは避けて通れない道だと気づきました。
そこからは積極的に強傾斜で練習をしたり、You君にキャンパ課題を作ってもらったりして、トレーニングをしてちょっとでも「強傾斜が弱い現状」の方を変えようと努めたつもりです。
未だにそれほど得意とは言えませんが。
でもこれはクライミングのあらゆる場面で顔を出しますよね。
例えば、「コンペで本当は活躍したい」「最近のコンペの課題は苦手」という認知的不協和に陥っている人が、安易に「コンペなんかで活躍してもしょうもない」などと考えを変えてしまう場合ですね。
それよりは「最近のコンペの課題も練習して得意にする」と自らの行動と変えるという流れに持って行った方がカッコ良いはずなのに。
他にもあるのは「カチに強くなりたい」「現状カチが弱い」みたいな認知的不協和状態の時に、「カチは痛いから嫌だ。だからやらない」みたいな謎な新たな認知要素を加えてしまう人など。
痛くても握れ!
行動を変えろ!
これ系の例はいくらでも思いつきますね。
最近のコツ系課題やバランス系課題になれてしまっていて、まぶし壁でガシガシ握るような真っ向勝負の動きができないクライマーが、「ただ握るだけの課題は面白くない」と言ったりする場合も同様のパターンですね。
これも「根本的に強くなりたい」という認知と「真っ向勝負課題が全然できない」という認知が不協和になっているのに、そこに新たな的外れな認知要素を加えて、挑戦を避けているのです。
コツ系課題やバランス系課題やコーディネーション系課題を何度やっても根本的には強くならない、真っ向勝負の先に強さはある、と気づいて行動を変えなければいけないんですよね。
なんかこれ以上書いていると自分でヒートアップしそうだからこのくらいにしておこう。笑
終わりに
この認知的不協和は本当に日常の至る所で登場します。
認知的不協和に陥った際に、自分が何か言い訳や屁理屈を付けて考えを曲げようとしていたら、冷静に行動を正しく変えることで
解消できないか立ち止まって見直したいものですね。
なかなか自分自身では気づきませんが。
ではでは。
-
前の記事
クライミングのルールはIFSCが全てではない 2017.08.07
-
次の記事
北海道旅行の隙を突いてクライミング 2017年夏 2017.08.13