“ほんとうのさいわい”はあるか 『ハピネス』の解釈・感想

“ほんとうのさいわい”はあるか 『ハピネス』の解釈・感想

きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。
どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう。

『銀河鉄道の夜』(宮沢賢治)

以前から自分の大好きな漫画の解釈・感想をもっと書きたいと思っていたのだが、なかなか筆が重く滞っていた。
そんな中、「アル」というマンガサービスがコマ投稿ブログコンテストという漫画のコマを貼り付けたブログを募集していたので、これを機会に1記事書いてみようと思う。

コマ投稿機能の対象になっている漫画の中で、
・自分にとって大切なテーマを扱っているが、解釈し切れていない
・(せっかくコマ投稿をするので)絵が美しい
という2つの基準で、押見修造の『ハピネス』を選んだ。

幸福論、死生観、社会からの疎外、不条理、そして救済などをテーマにしつつ、1枚1枚の絵が素敵な作品。

<まるでゴッホの星月夜のような絵>

注!
以下、ネタバレを含む。
ただ僕は『ハピネス』はその強烈なメッセージやテーマが肝であり、ストーリー上のネタバレによって作品の価値は全く損なわれないと考える。
また、このブログにコマを貼り付けることは控えたが、実際の作品中にはかなり過激な表現や絵が出てくるのでそこは覚悟して読むべき。

 
 


ストーリーの概要

簡潔に『ハピネス』のストーリーを紹介する。
人間の血を吸うことを求める、ほぼ不老不死の吸血鬼が昔から存在するという世界設定。
吸血鬼に血を吸われた人間はその場で殺されることが多いが、もし殺されないと同様に吸血鬼化し徐々に不老不死化していく。
主人公である岡崎誠はヒロインのノラに血を吸われるが、殺されずに吸血鬼化してしまい次第に人間社会では生きていけなくなる。
そこに吸血鬼の実態をあばこうとする組織、精神異常者であり吸血鬼化願望のあるカルト宗教教祖の桜根、友人であったが吸血鬼化した勇樹、誠の理解者であり誠を救おうとするもう1人のヒロインである五所雪子、などそれぞれ何か欠落していたり大切なものを奪われてしまった登場人物たちが交ざり合い、壮大な結末を迎える。

 
 

歴史的な位置付け

作者の押見修造は2009~14年にかけて連載した『惡の華』で一躍有名になった漫画家であり、『ハピネス』は『惡の華』の連載終了後の2015年に始まり19年に終了した。
『惡の華』が押見が得意とする主人公やヒロインたちの内面世界を深く掘り下げた(あえてカテゴライズすると)セカイ系であったのに対して、『ハピネス』は作者自身があとがきで述べているように色々な人物が登場しその生き様や運命が交錯していく群像劇だ。
つまり『ハピネス』は押見にとってもこれまでとは違ったチャレンジングな作品であったと捉えて良いだろう。
そして2017年から『血の轍』というとてつもないテーマを持った作品を手掛け読者からのより一層の支持を得ているように、押見は『ハピネス』をきっかけに一回りも二回りも重厚な作品を生み出せる漫画家へと変貌した。

また吸血鬼・悪魔・ゾンビなどが登場する作品は古くは『デビルマン』や『ジョジョ』などから、最近では『東京喰種』や『アイアムアヒーロー』などその題材自体は非常によく目にするものではある。
もちろん『ハピネス』も吸血鬼が登場するダークファンタジー系であることは間違いないが、作品がフォーカスしている箇所はそこにはないと言っておく。
そのタイトルの通り「ハピネス=幸せ」について書かれた物語であり、あくまで吸血鬼は作者のメッセージを伝えるための器に過ぎない。

 
 

『ハピネス』のメッセージ

前置きが長くなったがいよいよ本題。
『ハピネス』のメッセージは一体なんだろうか。
僕は以下の2つが大きなメッセージであると考える。

・理不尽、不条理な境遇に生まれたり陥ったりして死んでいく人間に幸せはあるか。その形は何なのか
・絶望的な不幸を超えるとしたら、それは運命の絆ではないか


順に説明していこう。

 
 

一番の幸せ

まずこの作品には、平和な日常が続き老衰死を迎えることが一番の幸せ、という大前提が根底にあることは間違いない。
暗鬱な雰囲気が常に漂う作中の中、ヒロインの雪子と後の旦那となる須藤のデートシーンは日常的な幸せのかけがえのなさを思い出させてくれる。

雪子と須藤は、多くの消えない傷を受けるものの最終的には上で述べたような幸せを手にすることができる。
最終巻では雪子の人生を最期まで明るく描き切っていることからも、平和な日常から老衰死に至る生き方を作者は当然肯定しているだろう。

 
 

理不尽な境遇における幸せ

「 理不尽、不条理な境遇に生まれたり陥ったりして死んでいく人間に幸せはあるか。その形は何なのか 」という1点目のメッセージに関しては作者があとがきで触れている。

生まれ持った条件が悪かったり、何の落ち度も無いのにいきなり消えない傷を負わされてしまった人間にとって、「幸せ」とは何か?

主人公誠の友人である勇樹は親の愛情を受けずに育ち、吸血鬼化した上に10年間監禁され最後は究極の暴力を受けそして死ぬ。
一方で暴力を与える側の人間である教祖桜根は悪役として書かれるが彼もまた生まれながらの精神異常者であり常に社会から疎外され生きてきて、最終的に”吸血鬼になりたい”という願望は叶わず殺される。

吸血鬼というファンタジー的な題材だと一見荒唐無稽の物語であると捉えてしまいがちだが、上記の勇樹や桜根のような境遇は自分たちとは関係のない世界の出来事では決してない。
作者は彼らの過去の回顧録を丁寧にそしてリアルに描くなどして、これは現実世界の問題なんだということを読者に突きつけてくる。

このような理不尽で不条理な人生に幸せはあるのか、幸せとは何か。
この難解な問題に対し作者は正直に

明確な結論には至れなかった

と述べている。
相当悩んで描いたであろうし、そもそも答えはない問題かもしれない。

勇樹は悲惨という言葉では足りないほどの最期、しかしそれですらこの現実世界で実際に起きている状況、を迎え最期の最期は「死」に対してを幸せを感じるのだ。
現実的に死ぬことで救済される状況の人間も存在し得るという悲痛な真実を目の当たりにするシーンだろう。

また悪の権化である桜根に対しても作者は一方的に否定はせず、彼ような存在が不可避であること、また彼もある意味で理不尽な境遇に追い込まれた1人であると描写する。

ただし桜根の願望を最後は叶えない展開にしたということは、いくら生まれながらにして不平等な境遇におかれてしまった人間とは言え、暴力によって他者の幸せを剥奪することは決して認めないというメッセージにもとれる。
一方でもし桜根が吸血鬼化したら「不死」になり、それはある意味「死」よりも圧倒的に不幸なので、そうならないように彼は救済されたと読むこともできる。

 
  

絶望的な不幸を乗り越えるもの

メッセージの2点目である「絶望的な不幸を超えるとしたらそれは運命の絆ではないか」を説明する。
桜根の箇所でも少し触れたが、不死は死よりも圧倒的に、究極的に、絶望的に不幸だ。
周りの人間が次々にいなくなっていく中、地球の環境がどのような状態になろうと、自分は永遠に無限の時を生きながらえなければならない。
不死は考え得る不幸の中で最大級のものであると言って良いだろう。

この物語の最後、主人公の誠とヒロインのノラは不老不死になって永遠の時を共に生きることにおそらくなる。
(おそらく、と書いたのは勇樹のようにある条件を満たせば死ぬことはできるため。
ただ吸血鬼化している時期が長ければ長いほど不老不死に近づくので、2人はもう死ねない可能性が高い)
しかも周りに人間がいなくなれば血を吸うことができないため、強烈な渇きと飢餓を感じながらも死ぬことができなくなることが想像される。
まさに地獄だろう。

では不死になった誠とノラは不幸なのか。
そこにはひとかけらも幸せはないのか。
ここから以下は僕の推察が多分に入るが、おそらく作者は
「この上なく考えられないほどの不幸すらも、運命の絆(チープに表現すれば愛)があれば乗り越えられる。少なくともそこに幸せはある」
と考えているのではないか。

最後の場面、誠とノラは

・・・みんな
忘れない・・・
ずっと・・・

というセリフと共に、わずかな笑みを浮かべ見つめあう。

そこには絶望以外の感情が明らかにある。
絆で結ばれた2人ならばこの圧倒的な絶望に何か光を見出せるはずだ、という希望がわずかながら漂っている。
この後この漫画は本当に美しいコマで終わるのだが、それはあえて貼らないでおこう。

また、もし「不死=絶対に乗り越えられない不幸」と捉えてしまうと、第1話でノラが誠を吸血鬼化すなわち不死化したという行動を肯定することができない
ノラは大昔(おそらく奈良時代とか?)に、生贄という非常に理不尽な理由で吸血鬼化し今日まで生きてきた。
これまでノラは血を吸った人間を殺してきたが、誠にかつて愛した相手の面影を見てしまい殺すことができず吸血鬼化させ自分と共に生きさせることを選択する。
これは一見圧倒的な暴力だ。
誰かを不死化させ究極の不幸を与えるなんて、ものすごい理不尽な仕打ちである。
でももし、不死という不幸は運命の絆によって乗り越えることができると作者が考えているなら、ノラの行動は正当化される。

<誠にかつての運命の相手の面影をみるノラ>

不死という設定が現実的なものではないので、賛否両論色々な意見があるだろう。
ただ読者に対して究極の問いかけをすることには成功している。

 
 

終わりに

この記事を書くにあたって、『ハピネス』を改めて何度も読み直したが、第1話から最終話まで本当にうまくまとまっている。
連載を始める前から伝えたいメッセージやストーリーの構成など決まっていて、概ねその通りに描き上げたのではないだろうか。

吸血鬼のルーツなどは結局明かされないが、読者の関心や視点はそこに向いているわけではないため全く気にならない。
このあたりパラサイトを扱いながら「人間賛歌」という壮大なテーマを扱った『寄生獣』とどこか重なるところもある。
10巻できちんと完結していることも素晴らしい。

興味がわいた方は是非『ハピネス』読んでいただけると僕も嬉しい。
既に読まれている方もここに書いたような視点で再読してもらえると更に楽しめるはず。
ではでは。

<8年も前に書いた寄生獣の解釈・感想ブログ>

Twitter アカウント: https://twitter.com/mic_u

<ハピネス>