論理と知識としつこさが正義とされる場所
昨日久しぶりに新卒で入った経営コンサルティングファームの先輩達と会って飲みながら色々な話をして、何か自分の脳の懐かしい部分を刺激された。
僕はクライミングの世界にどっぷり浸かるまでは、こういう世界で戦ってきた(少なくとも戦って行こうとしていた)んだという自分のアイデンティティ的なものを呼び起こされた。
というわけでまたまた少し思い出話を書く。
しつこさが疎ましがられたあの頃
小さい頃から細かいことに拘っては、周囲から疎ましがられることが多かったように思う。
例えば小学校の頃、友人に”お前の家って学校から遠いよな”と言われるとそれに対して、
“「遠い」っていうのは何かと比較しないと意味をなさない言葉だよね?何と比べて遠いと言っているの?ブラジルと比べたらどこだって近いよ”
などとコミュ障全開な回答をしたことを今でも覚えている。
僕のことを知る人なら、僕が今のまま小さくなったようなtheクソガキが上のセリフを言っていることは想像に難くないだろう。
優しい友人たちに恵まれたので、彼らは内心僕のことを疎ましく思ってはいたかもしれないが「植田はこういうやつ」と認めてくれていたのでうまいこと折り合いをつけて楽しく毎日を過ごしてはいた。
とはいうものの、中学校くらいからは僕もさすがに「空気を読む」ようになり、あまり論理や細かいところにしつこく拘ることは自然と自分なりに控えるようになったと思う。
「本質追求」というあらゆる思考方法の基礎
そんなこんなで千葉の公立で小・中・高と進むのだが、高校で入った学習塾で大きく自分の価値観や思考方法が変わる。
その塾は今はもう存在しないが柏の「Avance」(アヴァンセ)という塾で、僕は高校で2年間生徒として通い、大学で4年間講師として働き、未だに講師陣と交流がある。
アヴァンセが理想として掲げるのは「本質思考」。
もう少し砕くと「受験の暗記やテクニックに溺れないで、常に基礎から”なぜそうなるのか”を徹底的に考えろ」という方針である。
具体例を出すと、英語で以下の文を和訳するとする。
This is the best rock that I have ever seen.
通常はこの程度の英文なら感覚で訳せるが、
これに対してアヴァンセ的な模範的な解答はこうだ
“まずこの文で動詞Vを探すとisとhave seenがあります。isに対してはThisが主語S、rockが補語Cとなっています。一方でhave seenはSがIですが、他動詞にも関わらず一見目的語のOが見当たりません。そんな不完全な節の前にthatが付いていますが、もしthatが接続詞なら後ろは完全な節となっているはずです。しかし不完全な節を導いているということはthatは関係代名詞です。そして全体の関係代名詞節として形容詞的に後ろからrockにかかり、「これは私が今まで見た中で最も良い岩です」となります”
15年ぶりくらいにアヴァンセ的に英語を考えたので厳密さに自信がないが。
数学や物理でも「公式はその都度導けば良い。むしろその導出にこそ真髄がある」という方針だったので、どんなに初歩的な公式でも本当に暗記せず毎回手を動かして導出していた。
これは今思い返すと少し異様でやり過ぎである。
英語ネイティブはこんな思考をしないのでこれが本質なのかは疑問だし、おそらく純粋に大学合格を追求するならもっと割り切って暗記すべきところは暗記した方が良いだろう。
効率や反復練習に重点を置くべきなのだ。
ただ僕はこのアヴァンセの「本質追求」という姿勢が自分にとても合っていた。
論理と知識という武器を使ってしつこいくらいに考えることが正義だと認められる世界が楽園に感じられた。
そして勉強が楽しくて仕方がなくなったし、面白いように成績が伸びた。
このアヴァンセで培った思考方法は僕の血肉となり、その後の人生で考えるという態度の方向性を決定付けただろう。
考えることを生業とする人々
そして大学を卒業して僕はCDIという日系の経営コンサルティングファームに入り、その後Bain & Companyという外資の経営コンサルに転職した。
合わせて3.5年と短く、さらにマネージャーワークを知らないのでコンサルという仕事自体は大きくは語れないが、ここで過ごした濃密な時間もまた僕の考え方というか物事への向き合い方に大きな影響を与えた。
密度が濃すぎて記憶が少し消えかかっているくらいだ。
決してあまりの激務で頭がおかしくなったわけではない。
僕が新卒だった10年位前はリーマンショック直後で外資金融人気がガタ落ちし、また今ほどまだ学生起業なども盛んではなかったため、商社、DeNAなどのメガベンチャー、コンサルが人気だったように思える。
つまり僕も含め、自分のことを頭が良いと勘違いしている鼻持ちならない意識高い系フレッシュマン達がこぞってコンサル会社に集まっていたのだ。
そしてそのほとんど全員が入社後1週間以内に先輩社員にボコボコにされた。
寝ないで1日考えたことが、10秒で粗が見つかりほぼ全てが泡と帰す。
自分が徹夜で組み上げたロジックが先輩の1分の思考に凌駕される。
自分の作ったスライドは影も形もアウトプットには残らない。
たまに影くらいが残って喜ぶ。
今振り返れば、これも当たり前なのだ。
「考える」ということのそもそものやり方、根拠となる数字の集め方、コンサル的な資料作成方法、プレゼンの仕方、仕事を効率的に進める方法、これらは別に先輩だって天性の能力でやっているわけではなくノウハウがある。
みんなそれを必死に繰り返して身につけたのだ。
彼らは1日中考えるということを続ける日々を何年も過ごしている。
そしてそれで飯を食っている。
サッカーをやったことない素人が高校のサッカー部に入部して、初っ端から3年生の先輩と戦えるわけがないのと同じで当たり前のことだ。
どちらのファームでも経営の基礎はもちろんのこと、何にでも応用できる「考える」姿勢を身につけることができた。
さらにCDIではプロフェッショナルの基礎マインドを、ベインでは洗練されたグローバルファームとは何たるかを学ぶこともできた。
論理と知識としつこさがあれば何でもできる
結局のところ、「少しの知識さえあれば、あとは確固たる論理としつこさで何だって考えて意見することができる」と身を持ってわかったことが一番自分の糧になっているだろう。
実際に昨日会った先輩はクライミングのことは専門外なのに、”ミキペディアのカムの力学だけどさ、、、”と僕のマニアックなクライミング記事に意見してくれるし、僕に新たな気付きをくれた。
時間と価格のパラドックスの記事にも、Facebookでみんな真剣にコメントをくれる。
これは本当に嬉しいことだし、たぶんみんな考えて意見を言うことが楽しくてたまらないのだ。
今となっては僕はクライミングという、知的労働とは一見真逆のことをやっているようにも見える。
しかし論理と知識としつこさはクライミングにおいてもあらゆる場面で役に立っていると断言できる。
きっともう一度人生がやり直せても、僕はこのキャリアを歩んでクライマーに行きつくだろう。
社会人時代の写真探したらこんな知的なものしかなかった。
ではまた明日!
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