『進撃の巨人』 “自由”を追いかけた、令和時代の王道漫画

『進撃の巨人』 “自由”を追いかけた、令和時代の王道漫画

2021年4月9日、諌山創(いさやまはじめ)先生の『進撃の巨人』が完結しました。
社会現象になるほどの大ヒットとは裏腹に、序盤から最終話直前まで常に救いがない展開が続きましたが最後は綺麗にまとめ上げ堂々と11年7ヶ月の連載に終止符が打たれました。
『進撃の巨人』は漫画史に名を刻み後世に影響を与え、この令和時代の王道漫画のスタンダードの在り方を大きく変えた作品になったと感じます。
個人的にも生涯で触れたエンタメコンテンツの中で五指に間違いなく入るでしょう。

今回は自分なりに、
・『進撃の巨人』はこれまでの王道漫画と何が違うのか
・一番のテーマは何なのか

・なぜここまで読者の心を掴んだか
を書きます。

なお僕自身は『進撃の巨人』の捉え方でYouTubeの「タキチャンネル」さんに多大な影響を受けています。
タキさんの読み込みや解説のクオリティが非常に高いので考察としては「タキチャンネル」を見れば事足ります。
皆さんにも是非見て欲しいです。
それでもこの作品に対する想いをどこかにぶつけたかったので、”書くだけなら自由だろ?”の精神で自分なりの言葉で綴りたいと思います。

※以下ネタバレを含んで書きます。
「マガポケ」で最終話まで全て購入できるので、まだ読んでいない方は急げ!
アプリだと読みやすいです。

 
 


王道漫画とは

まず王道漫画とは何なのでしょうか?
先日の面白かった本を紹介した記事にも書きましたが、『ジョジョの奇妙な冒険』の作者である荒木飛呂彦先生は『荒木飛呂彦の漫画術』にてこう述べています。

漫画を描きたいのならば、漫画の王道を知り、その「黄金の道」を歩むという意識を持ってほしいと思っています。
そして、漫画の王道は、時代を超えて愛され、受け継がれていく名作に行き着くはずです。

そして漫画の「基本四大構造」として重要な順に
1. キャラクター
2. ストーリー
3. 世界観
4. テーマ

を挙げ、それぞれに王道漫画の黄金道があると言うのです。
これらを表現するのがコマ割り、絵、セリフ、等となります。

最もわかりやすいのはジャンプ漫画の王道である「友情・努力・勝利」ですね。
大ヒット作として知られ僕も大好きな『ドラゴンボール』『スラムダンク』などは言うまでもなく、少しダークな面を持つ冨樫先生の作品の『幽遊白書』などですら、キャラクターは友情に溢れ、努力は報われるというテーマであり、勝利が連続するストーリーになっています。

この本では四大構造それぞれに対して、王道漫画ならどうあるべきか、何がタブーかが、具体的に分析されています。
いくつか例を挙げておきます。

キャラクター
・動機を読者が共感できるものにする
・「正しいこと」や「勇気」こそが最も共感される(まさにジョジョ!)
・主人公と敵は正義と悪で対比させる
・成長させる、等

ストーリー
・起承転結から考える
・ストーリーは常にプラスになっていく
・主人公側が勝って終わる
・作者が語る、偶然の一致、夢オチ、などのタブーをおかさない、等

世界観
・読者が浸りたいと思える世界観を描く
・その時代、地域、科学的背景、などを徹底的にリサーチする、等

テーマ
・ぐらつかせない
・世間に合わせず作者の哲学を出す、等

<漫画の四大構造>


『進撃の巨人』による王道的展開の裏切り

では『進撃の巨人』はこの王道漫画に沿っているのでしょうか。
結論としては、四大構造のいずれも緻密でハイレベルだが「徹底的に王道的に描かれている面」と「大きく読者を裏切ってくる面」が混在している、と言えると思います。
キャラクターで言えば主人公のエレンはウォールマリア奪還作戦までは「友情・努力・勝利」を地で行きましたが、マーレ編から最終話1つ手前(138話)までのエレンの地鳴らしは多くの読者は頭では理解できても心では共感できなかったはずです。
エレンのことを恐怖の対象と見なし、不気味、不快、頑固でわがままと映ったのではないでしょうか。

ストーリーも同様に、ウォールマリア奪還作戦までは明確に「人間側が未知の巨人に打ち勝つ」というわかりやすい話でしたが、世界の真相が判明し壁の外にも人類がいたことがわかってからは、一体何のために誰と戦っているのか、誰が味方で誰が敵かなどが読者側にも伝わりづらくなります
勝利が連続するストーリーでないどころか、”これエレン側が勝利するとむしろダメじゃね?”と構造を根底からひっくり返してくるのです。

テーマに関しても絶対的にこれがメインだと読み取るのは難しいです。
例えばジョジョならおそらくファンであれば10人中8人が「人間賛歌」がテーマであると述べるでしょう(もちろんサブテーマはたくさんあります。以前ジョジョ考察ブログで書いたように、決定論と自由意志とかもその1つ。でもメインテーマは人間賛歌以外にないでしょう)
しかし『進撃の巨人』の場合、おそらく10人に聞けば10種類のテーマが返ってくる可能性があります。
それくらい多様なテーマで溢れ、あえて画一的な見方をさせていないのです。

以下、四大構造それぞれについて『進撃の巨人』がどうなっているのか僕の考えを述べます。
荒木先生の重要順とは異なり、『進撃の巨人』が王道的展開を裏切った度の強い「テーマ」→「ストーリー」→「キャラクター」→「世界観」の順で書きます。

 
 

テーマ:自由のそれぞれの在り方、起源、代償

上述したように『進撃の巨人』のテーマは多様に設定されています。
・世界は残酷である
という覆しがたい前提を土台にしつつも、序盤は王道の少年漫画的に
・未知への挑戦(王政編前まで)
・友情努力勝利(ウォールマリア奪還作戦)

がテーマであるとも取れます。
巨人という未知の外敵を倒すために調査し、シガンシナ区決戦に勝利し遂に壁の外の海へ辿り着きます。(このシガンシナ区決戦は少年漫画史における超名バトル。湘北vs山王に匹敵するくらいアツい)

そこから巨人が人間を元に作られているということ、海の向こうには敵対する人類がいることなどがわかり、
・民族闘争や人類の戦争の普遍性
・歴史の改竄
・憎しみの連鎖をどう断ち切るか(例えば、カヤ&サシャ&ニコロ vs ガビ。カヤが母親を巨人に食べられる→サシャがリベリオで門兵を殺す→ガビがサシャを殺す→カヤやニコロはガビを許せるのか)
・混沌とした「森」からどう抜けるか
・人間の心に潜む悪魔
・反出生主義(ジークが唱えた安楽死計画などはまさに「人間は生まれてこない方が良かった」という思想)
などなど、重苦しいテーマが多岐に渡って深く展開されていきます。

<カヤ、ニコロ、ガビが憎しみの連鎖に終止符を打った重要なシーン。124話>

ただ僕としてはやはり一番のテーマは「自由」であると捉えたいです。
もう少し詳しく述べると、「それぞれの人間にとっての自由の形、及びその欲求の起源の違い。また自由を追うことの代償」となります。

 

それぞれの自由の形

調査兵団のシンボルである自由の翼が象徴するように、進撃の巨人のキャラクターは自由を求めて戦い続けるのですが、自由の形はそれぞれで違います。
多様な自由の形が存在することを描き認めているのがまず重要です。

例えば調査兵団団長はエルヴィン、ハンジ、アルミンと移り変わりますが、彼らは微妙に形は違えど知的好奇心を満たす自由を渇望しています。
エルヴィン:壁の外に人間はいるのかなど、この世界の真実が知りたい
ハンジ:巨人の生態、秘密が知りたい
アルミン:海、炎の水(火山やマグマ)、氷の大地(雪山や氷河)、砂の雪原(砂漠)など雄大な自然に溢れる外の世界が見たい

一方、ヒロインのミカサは愛するエレンと一緒にいたいという自由のみを一貫して求めます。

<ミカサの胸キュンせつないシーン。45話>

そして、エレンは自分の意志や行動を誰にも邪魔されたくないという意味での自由を求めます。
もう少し突っ込むと、何かの構造や力によって囚われていることに反発を覚える、つまり不自由が許せないのです。

オレはずっと鳥籠の中で暮らしていたんだって気付いたんだ
広い世界の小さな籠でわけのわかんねぇ奴らから自由を奪われている
それがわかったとき
許せないと思った

73話

オレ達は皆生まれたときから自由だ
それを拒むものがどれだけ強くても関係ない
炎の水でも氷の大地でも何でもいい
それを見た者はこの世界で一番の自由を手に入れたものだ

14話

非常に重要なのは、炎の水でも氷の大地でも「何でもいい」という箇所ですね。
アルミンにとっては雄大な自然を見ることこそが目的なのですが、エレンにとってはそれらを見ることは自分の自由の証明手段でしかなく不自由からの解放が重要なのです。
この2人は最終話手前まですれ違い続けます。

 

自由への欲求の起源

またそれぞれのキャラクターは自由への欲求の起源も異なります。
例えば、主要どころでは以下でしょうか。
・アルミン:おじいちゃんに貰った本で外の世界の自然を知ったから(両親が自由を求めて気球に乗ったために王政に殺されたので、それに対する復讐や反発の心もあるかも)
・ミカサ:幼少期にエレンに命を救ってもらったから(ユミルの意志やおそらくエレンの嘘だがアッカーマンの宿主を見つける特性、の影響などもあるかも)

では主人公のエレンはどうなのでしょうか。
序盤では巨人(ダイナ)に母親(カルラ)を殺されたから、というのが自由を求め巨人を駆逐する欲求の一番の動機になっているように見えます。
しかし最終話にて、そのダイナも始祖の力でエレン自身が操りエレン自らの意志でカルラを食べさせた、という凄まじい事実が判明。
それも世界と104期生とミカサを守るために仕方のないことだと読むことはできます。
ただ僕は、このエレンの行き過ぎた破壊衝動とも取れる自由を求める心は、仲間や世界を守りたいという想いから生まれたと理解するだけでは足りないと思っています。
このエレンの自由への意志は根源的に生まれ持ったものであり、諌山先生の言葉を借りるなら第14話のタイトルにもなっているように「原初的欲求」なのです。
そこには環境や体験による後付けや理屈なんかは必要なく、エレンは生まれた時からこういう奴だったと捉えるのが自然であり、むしろこの世界や人間の本質を表しています。

(アルミンの”どうしてエレンは外の世界に行きたいと思ったの?”に対して)

どうしてだって・・・?
そんなの・・・決まってんだろ・・・
オレが!!
この世に生まれたからだ!!

14話

<最終話でも。何でかわかんねぇけどやりたかったと言うエレン>

そう捉えるとエレンは本当にこれまでのジャンプの王道的な主人公像からはかけ離れています。
最終話において104期生やミカサへの愛を子供のような心でエレンに吐露させることでバランスを保っていますが、本来的にはむしろ根っからの破壊衝動を持ったキャラクターであり、
・『ザ・ワールドイズ・マイン』(新井英樹)のモンちゃん
・『コンロッカーベイビーズ』(村上龍)のキク
・『ヒメアノ~ル』(古谷実)の森田
・『イージュー★ライダー』の奥田民生
などに近いのではないでしょうか。

ちなみに諌山先生自身も『ヒメアノ~ル』の森田についてブログで以下のように言及しているので、エレンにある程度森田的な要素を投影させたというのはあるはずです。

彼(森田)は何故そんなサイコキラーなのかは
原作では「先天的なもの」として描かれています
つまり生まれた時から彼はそういう人間だと
決まっていたのです

ただ、ある人間はこうであると1つのタイプで語ることはもちろんできないわけで、「仲間想いのエレン」と「生まれながら自由への原初的破壊欲求を持ったエレン」のどちらもがエレンだと捉えるべきですけどね。

 

自由の代償

『進撃の巨人』のテーマとして自由が成り立っているのはその代償まできちんと描いているからです。
作中において自由と言う利益を代償なく享受できたキャラクターはほぼいないのではないでしょうか。
終盤の構図にしても、パラディ島側が自由を求めれば世界の人類が滅びる、かと言って戦わなければ自分たちが破滅衰退に追いやられるという、自由とその代償の天秤に常に掛けられています。

完全体エレンは進撃&始祖の能力を兼ね備えた最強のチートキャラクターであり、地鳴らしという自身の原初的欲求を満たす破壊行為をほぼ達成します。
結果として世界の人類の8割が死滅するのですが、この後に当初の最終目標である「巨人の能力が無くなり、全ての巨人が駆逐された本当に自由な世界」を手にするには自身の死、しかも(ユミルを愛の苦しみから解放するため)ミカサの手によって殺されるという最大の代償を支払わされるのです。

この世界は残酷なので、物語の見せ方としては「強者は代償なく自由を手にできる」というテーマももちろんありです。
例えば、エレンが死亡せず人類の8割を殺した代償を一切支払わない、つまいエレンが絶対悪になり切るという結末もあったかとは思います。
(もしくは地鳴らしを完遂し切って、ドラえもんの「どくさいスイッチ」的な結末によって、自由を求めた結果の孤独という代償を受ける、みたいな展開もあった)

ですが、『進撃の巨人』では自由には代償が生じるという一貫したテーマを描き切りました
しかもミカサは求めていた自由は結果的には得られなかった。(最終話の鳥に憑依したエレンの存在に多少は救われるが)
色々なテーマ設定や結末があり得た中で、この最終回のように自由と代償のバランスをとったことは個人的には最も腑に落ちます。
本当に素晴らしい作品。

 
 

ストーリー:壮大な価値転倒

荒木先生は「常に主人公側がプラスに向かっていくこと」が王道ストーリーの条件だと言っています。
例外的に常にマイナスに向かうこともありだとは書いているものの、一度下がって上がるなどのストーリーは、「読者が期待していない」「結局はプラマイゼロになっただけ」などの理由からタブーだと明確に述べています。

<王道ストーリー>

<タブーストーリー>

 

一度大きく沈むストーリー展開

しかし『進撃の巨人』は上記の「よくない」タブー視されたストーリー展開を取ります。
ここでも王道展開の裏切りをするのです。

序盤にいきなりウォールマリアを破壊されるというマイナスから始まるものの、
・エレンが巨人の力を得る(2巻あたり)
・アニの正体を暴く(8巻あたり)
・エレンがダイナ巨人に触れ「道」の力の片鱗を見せ、ライナーやベルトルトを追いやる(12巻あたり)

までは基本的にはプラスで進んでいきます。
(ちなみに荒木先生は物語がマイナスから始まることは決して悪くないとし、大切なのはその後常にプラスになっていくことだと述べています。
実際にジョジョ6部で徐倫はいきなり牢屋の中であるし、SBRではジョニィは車いす状態かつどん底から始まります。)

その後、
・王政編(17巻あたり)
・シガンシナ区決戦で勝利しウォールマリアを奪還する(21巻あたり)
・世界の真相が判明(22巻あたり)

と、徐々に敵と味方の境界線が曖昧になっていき、人間vs巨人の構図が崩れ政治的思惑や複雑な世界設定が入り始めると、読者は混乱しかけます。
とは言えこの時点ではまだギリギリ主人公サイドがプラスに進んでいく王道ストーリーは維持されているでしょうか。

しかし、マーレ編に入りストーリーは急転。
22巻の最後の90話「壁の向こう側へ」で主人公たちが壁の向こうの海へ辿り着くのですが、その後23巻の最初である91話「海の向こう側」では突如としてファルコやガビなどマーレ側の新キャラクター視点でストーリーが展開されます。
そして22巻までずっと敵対勢力として描かれていた海の向こう側の世界についての詳細が判明し、これまで敵であるはずのライナー、ベルトルト、アニ、ジーク、そしてファルコやガビがまるで主人公であるかのように読者に見せてきます
彼らも主人公サイドのパラディ島に命を懸けて仕方なく侵攻し、またその他の別の世界の国々とも彼らの正義の論理で戦っていたのです。

端的に言えば、22巻までは主人公サイドは基本的には一枚岩だったのに対して、23巻以降はエレンが裏切り「敵」として読者の目には映るでしょう。
その後パラディ島内部もエレン派が分裂し、もはやストーリーがどこへ向かえばプラスなのかが読者にもわからなくなりどの選択をしても地獄しか待っていないような展開へ突入するのです。

  

王道的展開の裏切りに対する読者離れ

この唐突な王道的展開への裏切りに対しておそらく少なくない読者が離れました。
Googleトレンドで「進撃の巨人」を検索すると、以下のように
・エレンが座標の力を発揮したコミックス12巻発売あたりがピーク
・以下減っていき22巻発売あたりの世界の真相判明で小ピークがあるものの、マーレ編の23巻以降更に低減
となっています。

<Googleトレンド。検索トレンドのピークを100として相対的に表示>


オリコンによる推定売上でも
2013年年間コミック売上(集計期間:2012年11月19日~2013年11月17日)
 -9巻:195万部(2012年12月発売)
 -10巻:192万部(2013年4月発売)
 -11巻:145万部(2013年8月発売)

2019年年間コミック売上(集計期間:2018年11月19日~2019年11月17日)
 -27巻:134万部(2018年12月発売)
 -28巻:117万部(2019年4月発売)
 -29巻:96万部(2019年8月発売)

とピーク時から2/3程度にコミックス売上が減ったとわかります。

もちろん検索数やコミックス部数にその作品の人気がそのまま反映されるとは思いませんし、相対的な他の要素に影響されるものではあります。
ただ13巻以降の王政編の複雑さや、23巻以降のマーレ編の急転直下なストーリー展開で離脱した読者が一定層いたことの指標にはなるはずです。

実際に私も初期からコミックスを買っていましたがコミックス12巻で一旦購読を止め、その後2019年末に30巻が発売された時点で再び『進撃の巨人』に興味を持ちそこからこの物語に熱中し始めました。
ストーリーを一度マイナスに転じさせるというのは王道に反し、読者離れを起こしてしまう手法なのです。

 

「正義」と「悪」の価値転倒

諌山先生自身が『キャラクター名鑑』において、

(22巻最後の海を臨むシーンに対して)

何なら「ここで最終回でもいいんじゃないか」

と述べるように、22巻まででも『進撃の巨人』は巨人を何とか倒して壁の外である海に辿り着いた王道漫画、と受け取ることも可能です。
その方がストーリーとしても呑み込みやすいです。

<22巻のラストシーン。海という1つのゴールを前にした3人。が、同時にそれぞれの進む道が違えることを覚悟>



しかしここから王道展開に反するような、ストーリーがあえて一度マイナスに沈む展開に実際は向かいます。
それはなぜなのかと言えば、物語をより重厚にするために「正義」と「悪」の価値を転倒させる必要があったからです。

物語における価値転倒の重要性は批評家の宇野常寛さんのこの文章が参考になります。

あらたな問いを生む発信は、すでに存在する価値への「共感」の外側にある。
人々はインターネットである情報を与えられ、それに「共感」すると「いいね」する。
このとき、その人の内面に変化は起きない。
しかし問いを立てる発信は違う。
(中略)
こうした価値の転倒は、「共感」の「いいね」の外側にある。
人間は「共感」したときではなくむしろ想像を超えたものに触れたときに価値転倒を起こす。
そして世界の見え方が変わるのだ

『進撃の巨人』において22巻以前では、
・正義=エレン、パラディ島、人間
・悪=巨人、壁の外、ライナー達裏切者

という構図でした。
冒頭で超大型巨人の襲来を描くことで、この正義と悪の対比を読者に植え付けます。

しかし23巻以降にエレンが裏切り行為を見せたあたりから読者にとって「正義=エレン」という等式が成り立たなくなり、むしろ壁外人類にとっては「悪=エレン」だと気付き始めます。
そして終盤エレンが地鳴らしを発動し壁外人類を次々に潰していくさまを見て読者は気付くのです。
これは、序盤に超大型巨人がパラディ島を襲来した構図をそっくりそのままひっくり返したものだということに。

実際に諌山先生は2017年8月の別冊少年マガジンのインタビューにおいて、以下のように述べています。

(歴史上の戦争と違い、漫画は作者が「勝敗」を決めますよね。それは何が正しいかを決めることになりませんか?)

今までエレン視点でしたが、マーレ編では(エレンが)マーレの人々の敵として現れる。
すると(エレン達)「壁の中の人達」が何を考えているのかが分からなくなりますよね。
今までは巨人がその役割を担っていたわけです。
正義と悪とはそうやって逆転しうるものなんじゃないかなと

 

丁寧に価値転倒が描かれている

これまでの王道少年漫画にも「正義」と「悪」の価値転倒は登場してきました。

例えば『ドラゴンボール』において、実は悟空が敵側の戦闘民族サイヤ人であることが判明したり、魔人ブウに動物を大事にするという良い一面が見られたり。
『寄生獣』は昔このブログで触れましたが、テーマを「人間批判」から「人間賛歌」に見事に価値転倒を起こして名作となっています。

しかしこれまでの作品と比べても『進撃の巨人』の価値転倒は見事であると言わざるをえません。
多くの読者が自分が信じてきた土台を壊され混乱の渦に陥り、一体何を信じれば良いのかわからなくなりました。
そのカギは僕は諌山先生が丁寧にこの価値転倒を描写し切ったからだと僕は考えています。
22巻も使って主人公サイドが巨人に残虐に殺される様をまずは徹底的に書き切る。
巨人に対する嫌悪感を読者にこれでもかと植え付ける。
そこから一気にエレンが悪側に回るのですが、そこでもただエレンが巨人を操って世界を潰すという事実だけでなく、外の世界が地鳴らしされていく過程を丁寧に丁寧に描くきます。
ラムジーなどの具体的なキャラクターが潰され無残に死に行く様を逃げることなく詳細に描写するのです。
故に、読者に対してこのエレン達の問題は遠いどこかの話ではなくリアルに起こり得ることではないかと、肌感覚のある「正義」と「悪」の価値転倒を仕掛けることに成功しているのです。

<131話の「地鳴らし」回はあまりにラムジー達の描写がむごすぎて、これ以降のページを貼るのは自粛>

 
 

キャラクター:一貫した信念と通過儀礼

『進撃の巨人』はとにかくキャラクターが立っています。
強烈なファンが付いているキャラクターは10や20じゃ利かないのではないでしょうか。
キャラクターの際立たせ方で僕が特筆すべきと思うのは、以下の2点です。
・各キャラクターが強烈な一貫した信念を持つ
・それぞれに通過儀礼が待ち構える

 

共感はできないが強烈な信念を持つ主人公

テーマの項で主人公のエレンは読者が共感しにくくどこか不気味である点が王道的でないと書きましたが、そのような主人公は他の大ヒット作品にも少なからず存在します。
有名なところでは『DEATH NOTE』の夜神月(やがみらいと)であり、あまりに行き過ぎた善人救済思想や己の理想の達成のためなら他者を容赦なく犠牲できるキャラクターです。
他には諌山先生も大好きな海外ドラマ『Breaking Bad』のウォルター・ホワイトも、家族のためと言いながら麻薬の製造と売買に手を出し数多くの殺人を犯します。
(ちなみにウォルターは物語の終盤で麻薬ビジネスは本当は自分は本心から楽しんでいたことに気づくのですが、ここもエレンの原初的な自由と破壊の欲求と非常に重なります)

これらのキャラクターの動機は読者や視聴者の共感が得づらいので王道漫画にはなりづらいです。
しかしそれでもエレン、月、ウォルターに読者や視聴者が惹き付けられるのは彼らがそれぞれ強烈な一貫した信念を持っているからでしょう。

 

その他のキャラクターにも一貫した信念がある

主人公以外のキャラクターにも一貫した信念を持たせ、ストーリーが進行してもその軸をブラしません。

例えば僕が一番好きなキャラクターであるエルヴィン団長は「この世界の真実が知りたい」という一貫した信念を持って行動しています。
彼は調査兵団の団長であるので仕事上の任務は巨人の生態を含めて壁外の調査をし壁内人類全体の未来に貢献することなのですが、心の奥底では幼少期からずっと「この世界の真実が知りたい」という欲求も強く持っています。
彼の個人的な欲望と業務上の責務が交わり強いパッションとなって、エルヴィンは調査兵団の団長として卓越した成果を残してきました。 

同じく団長を受け継いだアルミンですが、彼の信念は「対話による争いの解決」と読み取れます。
強者が生き残り弱者が負ける残酷な世界において、最初から最後までアルミンは相手との対話によって争いを解決すべきだという態度を取ります。
作品を通して読むと本当にブレずに一貫して描かれているので、
“アルミンならここで対話を求めるはず”
“この争いの連鎖を打開できるのはきっとアルミンの対話だ”
などと読者も含めた皆の中にアルミンというキャラクター像が強く出来上がっていくのです。
(参考:進撃の巨人趣味ブログ「アルミンが対話を求めるシーンはどのくらいあるのか?調べてみた。1巻~33巻」

 

皆に訪れる通過儀礼

しかし『進撃の巨人』においてその信念に支えられた夢を簡単に成し遂げられたキャラクターは皆無です。
この残酷な世界ではそんなことが許されるはずはなく、成長し次の段階に進むために必要な試練や過酷な選択(=通過儀礼)を絶対に迫られます

上述したエルヴィンならば、右腕を失い団長としての戦闘能力を失ったことをきっかけに「団長としての責務」と「個人的な欲望や信念」が合致しなくなりジレンマに陥ります。
ウォールマリア奪還作戦においても、団長としての責務を優先し人類の未来のためを思うならば、エルヴィンは前線に赴くのではなく安全なところから戦略と戦術の指示を出すことに徹底した方が良かったです。
しかしこの世界の真実を真っ先に知るには最前線でシガンシナ区にあるエレンの家の地下室に行く必要があります。
この強烈な選択を迫られた末に、個人的な欲望を優先させる結論を出したのが以下の有名なセリフです。

<わがままだけどクッソカッコ良いエルヴィン。18巻71話>

ここで個人的な欲望を優先させたエルヴィンは裏を返せば、通過儀礼を超えられなかったとも見て取れ、この残酷な世界において儀礼を通過できなかったものに待つのは死なのです。
個人の欲望を優先させてしまったエルヴィンは地下室まであと一歩というところでジーク達敵勢力に追い詰められ、「この世界の真実を知る」という自分の信念に生きて辿りつけないことを悟ります。
そして最後は人類のために散る。

<このエルヴィンの悟った顔よ>

一方のアルミンも「対話」だけではどうやっても解決できない状況に徐々に追い込まれます。
同時に物語の過程で、超大型巨人という圧倒的な暴力性を持つ殺戮の神とも言える能力をこのアルミンが手にしてしまうことも何とも皮肉で残酷です。
そして終盤には「対話だけでは解決できないこともある」という事実をまざまざと見せつけられ、アルミンは人類を救うために時には対話を放棄し超大型巨人の能力で壁外の人々を殺します。
更に137話においては自分にとって一番大切な仲間であるエレンに対しても殺すつもりで攻撃をします。

<アルミンの稲光涙が印象的。137話>

この対話を諦め暴力に訴えるというのはまさにアルミンが通過儀礼を終えたということを意味します
結果としてアルミンは一段階成長し「壁」を越えることができ、最終話でのミュラー長官との「対話」に成功し本当に人類を救うのです。

このあたりも諌山先生がブログ内で、

こんなもん見せられたらもう、他にエンターテイメントはいらないいじゃないかと思いますよ。
全てはこれひとつで事足りるんじゃないか。

と語るほど大好きな『Game of Thrones』のキャラクターの成長の描き方とすごく繋がるなと感じました。
主人公格である女の子のサンサやアリアが当初は今にも潰されてしまいそうなか弱いキャラクターであったのにそれぞれシーズン4において、
・サンサはシーズン4でライサの死因を名演技で嘘を付き隠し通す
・アリアもシーズン4で自分のニードルをポリヴァーから奪い返し殺す
など通過儀礼を超えて、”面構えが違う”者たちになるのです。
(シーズン6途中までしかまだ観ていないので思い違いがあるかもしれない)

 
 

世界観:緻密で論理破綻がほぼ無い

世界観は四大構造の中で唯一圧倒的王道で、読者の人気を得やすい設定を序盤から終盤まで突き通したのではないでしょうか。
外敵侵略系という古典的なSF小説や映画を源流とし、日本の漫画においても『寄生獣』『GANTZ』『アイアムアヒーロー』などいつの時代にも一定の支持を得る世界観です。
また諌山先生はライムスターの宇多丸さんとのラジオ対談で、『K.U.F.U.』の歌詞を引用し

「リズムが無いならイズムで勝負」そんな感じで(第1話の超大型巨人の)見開きに賭けた。
無名の新人の漫画なんて誰も読まない。
ましてやこんな絵のやつ。
でも、読者がパーってめくった時に見開きで何か”ん?”て思うような、よくできたクイズみたいなことができればちょっとは気にしてもらえるんじゃないか。
初期はそんな作戦でした。

と述べています。
この「イズム」がまさに『進撃の巨人』の世界観であり、初期はそこを読者にウケるような王道設定にしてかつ、どうやったら伝わるのかと編集の川窪慎太郎さんと相当作戦を練ったのです。
人間が捕食されるようなグロ描写もこの世界の残酷さをリアルに伝えるために必要なものではありますが、読者の目をパッと引きやすいという効果も狙った面もあるとは思います。

<イズムの溢れる第1話見開き。誰にでも進撃の世界観が伝わる>

 

SF作品としても耐え得る緻密な世界観

また『進撃の巨人』の世界観は外敵襲来系で読者人気を得やすいだけでなく、SF作品としても十分楽しめるほど設定が緻密です。
SFとファンタジーの違いの定義は色々ありますが、「非現実的な設定だが論理的に展開されるのがSF」と捉えることができます。

<大森望さんの定義>

また良いSFとはこの非現実的なメイン設定の数が限りなく削ぎ落され少なく、その少なく強固なメイン設定から全てが論理的に導かれているものだと僕は思います。

『進撃の巨人』の場合はこのメイン設定が、
・始祖ユミルが有機生物の起源と出会い巨人の力を手にした
というものです。
その設定から分岐して、
・9体の知性巨人の存在
・13年の呪い
・継承のための無垢の巨人の存在
・ユミルの未練
・「道」の存在
などの小設定が辻褄の合う形で展開されていきます。

個人的には当初『進撃の巨人』を読んだ際には、
・ダイナ巨人がエレンの母親であるカルラを捕食したこと
・再びエレンがダイナ巨人に接触すること
が確率的に相当起こりづらい所謂「ご都合主義」っぽく見えていたのですが、ここも進撃&始祖の能力でエレン自身が操っていたという事実が最終話で判明し論理破綻がほぼ無くなったように思えます。

もちろん細かいところを突っ込めば、
・”始祖の力がもたらす影響には過去も未来も無い”って因果関係どうなっているの?結局出発地点はどこなの?
・「道」があまりにチート過ぎてなんでもありやんけ
・立体起動装置って力学的におかしくない?
などなどハードなSF作品として見てしまえばおかしなところはたくさんあるのですが、それでも伏線回収というか話の端々を綺麗に繋げてくる構成は見事だと感じます。

それを支えているのはやはり世界観の緻密な構成であって、読者に伝わりづらいような細かいところまで気を配っているからこそ成せる技なのですよね。
・北欧神話をベースにした設定と空気感で話を構成
・現実世界のパラレルワールド的に感じるように、太陽は西から登り、使われる文字は鏡文字
・アフリカ近辺の逆世界設定であり、パラディ島はマダガスカル島を模している
などの直接的には描写されないところまできちっと決まっているので話や論理のほつれが出づらいのだと思います。

 

緊迫感の中でのギャグ

また『進撃の巨人』の独特な世界観を作り上げる上で見逃せないのが緊迫した中でも、自然な流れでギャグを入れてくるところです。
このギャグ描写が緊張と緩和として作用してより一層魅力的な空気を作り上げています。
しかも唐突なデフォルメギャグで世界観をぶち壊すというものはあまりなく、”これは真剣なのか?ギャグなのか?”みたいな絶妙なラインを攻めるものが多くストーリーの進行を妨げないのですよね。

<人類の未来を賭けたシガンシナ区決戦での1シーン。これは唐突か。笑>

 

なぜここまで読者の心を掴んだか

ここまで四大構造それぞれで『進撃の巨人』の王道的な部分と裏切り的な部分を自分なりに考察しましたが、なぜここまで『進撃の巨人』が読者の心を掴み大ヒットしたかを考えてみます。

 

四大構造の全てがハイレベル

まずシンプルに四大構造のどれをとっても超一流漫画と肩を並べるくらいハイレベルだと感じます。
例えば『スラムダンク』の好きなところはどこか?と読者に聞いた場合、おそらくその8割近くが「キャラクター」か「ストーリー」を挙げるでしょう。
『寄生獣』ならやはり「テーマ」、『AKIRA』なら「世界観」がそれぞれ突出して優れていると感じます。
(もちろん、スラムダンク、寄生獣、AKIRA、は超超超偉大な作品だし僕も大好き。さらに言うと四大構造のどれか1つが突出することは決して悪くない)

しかし『進撃の巨人』は「テーマ」「ストーリー」「キャラクター」「世界観」そのどれもが甲乙つけがたいくらい素晴らしく、どれか1つだけをとってもファンになれます。
少し言い方は悪いですが、『進撃の巨人』のテーマやストーリーを読み取り切れない読者の中にも、”〇〇というキャラが好きだから読んでいる”という人や、”巨人の世界観が好きと言うだけで読んでいる”という人もいるでしょう。
各要素をここまで高いレベルで書き込めばコアな層だけでなく幅広い層に支持されることを示したのです。

 

解釈が読み手に委ねられている

もう一つはテーマはもちろんのこと、キャラクターのセリフ1つとってもその解釈や判断が読み手に委ねられ、人によって受け取り方が変わるという点です。
仕様書やプレゼン資料などの文章は読み手によって受け取り方が変わってはまずいのですが、漫画や文学の場合はそのコンテクストがむしろ多様に解釈できる方が僕は素晴らしい作品だと思っています。

例えばテーマの項で触れた「エレンはなぜ地鳴らしを決行したのか」に対する答えも、読者によって
“エレンの原初的欲求がそうさせた”
“104期生達を守り長生きさせるため、つまり友情からそうした”
“ミカサへの純愛”
“世界平和のため”
“ユミルを解放してあげたかった”
と何通りにも解釈できますし、おそらくどれか1つが正解で他は間違っているというものではなく、複合的に多面的に解釈できるのですよね。

またテーマ自体も根源的なものから今話題になるようなものまで広く多重に設けられているため、多くの読み手の中にあるコンプレックスとか問題意識とかそういったものに必ず何か引っかかるものがあります。

この多様性が重視される令和時代には「友情・努力・勝利」といった王道的で画一的なテーマやストーリーを読み手に押し付けるのではなく、むしろそのフォーマットに乗らないことが読み手側に幅広い解釈と言うクッションを与えてヒットに繋がったのではないでしょうか。

このあたりは読書感想記事でも書きましたが、藤本タツキ先生の『ファイアパンチ』や『チェンソーマン』が人気なことにも繋がりますね。

 
 

諌山創先生の次回作が楽しみ過ぎる

以上となります。
連載デビュー作でこんなにもチャレンジングな大作を完成させてしまった諌山先生、次回作が本当に楽しみです。
何気に1986年生まれで僕と同じ年。
今後どうなってしまうのか。
次回以降も”自由”に好きなものを描いて欲しいですね。

 
 

参考文献など

ブログ記事中で触れた参考文献などのリンクを貼っておきます。

・『進撃の巨人』本誌 関連

<漫画>

33巻よりあとは「マガポケ」で読めます。アプリがオススメ

<キャラクター名鑑>

<諌山先生ブログ>

「現在進行中の黒歴史」

<諌山先生×宇多丸さん対談>

 

・進撃考察のタキさん
とにかくタキさんの動画を見ておけば考察に関しては完璧に近いです。
タキさんのほんわかした話し方とかユーモアもとても良い。

<タキチャンネル>

<タキさんのブログ>

進撃の巨人完全解説

 

・荒木先生
このブログ記事のベースにさせていただいた王道漫画の四大構造が紹介されている本で必読です。

<荒木飛呂彦の漫画術>

 

・その他紹介した作品

<ザ・ワールドイズ・マイン>

<コンロッカーベイビーズ>

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