あえてグレードにこだわる

あえてグレードにこだわる

(10年近く前に登った「忍者返し」。当時はこのラインが登りたかったのか、グレードを求めていたのか)

前回記事で今シーズンに掲げた目標の1つとして、
ボルダーでグレードにこだわった成果を出す
と書きました。
その背景には、
1. トラッドやビッグウォールのためにも自分のクライミングの「器」を今一度大きくする必要性
2. 妻のむっちゃんの手術と怪我が続いたため、1人で岩に行く機会の増加
がありました。
ただ自分の気持ちに本当に正直になると、その根底にはある種のボルダリングのグレードに対するコンプレックスがあったのだと思います。

今回はそのあたりの話。

<参考記事>

 
 


“クライミングはグレードじゃない”??

“クライミングはグレードじゃないよ”
と言う言葉はよく聞くが、これは一体どのような意味なのだろうか。

「高いグレードを登ることだけがクライミングの楽しみではない」
という意味ならば完全に同意する。
クライミングの楽しみ方は多種多様だ。
その楽しみ方や素晴らしさを測る尺度はもちろんグレードだけではない。

「低いグレードにも難しい課題はあるし、高いグレードにも簡単な課題はある」
「クライマーのタイプによっては低いグレードの課題にも苦戦するし、その解決や克服はやりがいがある」
などの意味だとしても納得できる。
現時点でグレードを完璧に定量化できた人はいないし、それらは地域、初登者、課題タイプによってバラつくものだ。
グレードは決して絶対的な基準にはなり得ない。
純粋なクライミングの上達を考えても、低いグレードの課題から学べることもたくさんある。

ただ、上記を認めたとしても「高いグレードを目指すこと」の否定には何も繋がらない
グレードを追求したクライミングをしたって良い。
というか困難への挑戦という意味でむしろグレードを追求することは素晴らしい姿勢なはずだ。
しかし時として僕もなってしまうが、なぜか「グレードの追求とは悪である」という論調に傾くことがある。
ここがはっきり言うと逆に気持ち悪い。
クライミング界だけじゃなく、社会全体として弱者に過度に寄り添い過ぎておかしな逆転現象が起きてしまうのはよくある話ではあるが。

 
 

グレードは偉大な発明

大前提として、グレードは偉大な発明だ。
クライミングに数値を振ることで、クライマー達が国や地域を超えて共通言語で語ることができる。
グレーディングシステムにバラつきはあるが、平均すれば依然としてしっかり機能している。
さらにクライマーにとって、自分の実力ギリギリの課題を登ることは基本的には充実するものだ。
困難を乗り越えることで達成感が生まれる。
だとするならばグレードが課題に振られているからこそ、どんなクライマーにとっても目標が持ち易くなっていると捉えることもできる。
グレードがあるからこそ世界全体のクライミングレベルがここまで押し上がったはずだ。

もちろんグレードによってクライミングが浅くなるという意見もわかる。
“今日は初段を登りました!”
みたいな投稿に対して、いやグレードはさて置きそれってどんな課題でどんな内容なのよ?
と感じることはある。

“かなり簡単だけど初段は初段です!”
みたいに盲目的に与えられたグレードを受け入れる姿勢にも違和感はある。
もっと自分の中のグレードの物差しに照らし合わせて体感グレードを語って良い。
トポのグレードを否定する必要はないが、冷静に自分の実力と課題の難易度との距離は把握しておきたい。
(でも自分にとってそのグレードの最初の1本とかだと物差しが無いからわからないのも無理はないし、僕にとっても四段とか高グレードになれば同じ話だろう)

ただ総合すれば、グレードによってクライミングのある側面は希薄になり失われたのかもしれないが、そのデメリットを補って余りあるメリットをクライミング界にもたらしているものだと僕は思う。

 
 

とやかく言う前に、まずそのグレードを登ってみろ

で、ようやく自分の話。
僕はたぶんここ数年はグレードというものにそれほどこだわってこなかった。
その背景には、トラッドやビッグウォールという自分にとって新たなクライミングジャンルを純粋に楽しんでいた気持ちがあったのは本当だろう。

でもそれはやはり”クライミングはグレードじゃない”という逃げの態度の現れなんじゃないかと疑問を持ち始めた。
心の奥底には、ボルダリングで難しさを追求する終わりのない戦いの螺旋に正面から向き合うのが怖い、という気持ちもあったのかもしれない。
そのくせして腹の内では
“打ち込めば三段くらいはもっといくつも登れるだろう”
“四段でも簡単なものなら登れる実力は自分にはきっとある”
という無根拠な自信もおそらくあった。

しかしこれは非常にダサい態度なのだ。
卑近な例を挙げれば、
“お金なんて関係ないっすよ”
というのを貧乏人が話すのと大富豪が話すのでは意味が全く違うのだ。
もし僕が、”グレードなんて関係ないっすよ”という言葉を放つのならば、それはグレードを追求した末に使って良いのだろう。

なんやかんや書いたのだけれど、とにかく自分自身の「グレードにこだわらない」という姿勢が逆に嫌になったということなのだ。
そんなこと言う前に、”とにかく難しいグレードを登ってみろ”と自分に言ってやりたかった。

 
 

具体的な話、は次回

という背景もあって、今シーズン前に僕は「ボルダーでグレードにこだわった成果を出す」という目標を掲げ、具体的には
・納得のいく三段
・とにかく四段
と設定した。

前提の話が長々となってしまったので、具体的な話はまた今度。