2021年1月~3月に読んで面白かった本
昨秋はクライミングに集中していたので久々の読書感想シリーズ。
四半期ペースを継続できるかはわかりませんが、またちょくちょく書いていこうと思います。
笑いのカイブツ
著者:ツチヤタカユキ
ジャンル:自伝、お笑い
伝説のハガキ職人、ツチヤタカユキさんの半生を綴った本です。
今期一番心を揺さぶられました。
特に前半部分は言葉の端々からお笑いに対する著者の狂気が伝わってきて、鳥肌が立ちっぱなし。
ツチヤタカユキさんは子供の頃からお笑い好きで、高校1年生の時にNHKの『ケータイ大喜利』という視聴者参加型の大喜利番組に投稿を開始します。
その時に「21歳までにトップに上り詰めそして死ぬ」と決意。
彼は情熱の男であると同時に理論派でもあり、番組で紹介されたネタを全てノートに書き起こし、
・4つの制約:短い文章であるべき、固有名詞を出さない、etc
・13のパターン
などの分析をまずはします。
そしてその理論を元に1日に何百個ものボケを番組に送りますが、結局高校を卒業するまでの3年間に彼の投稿が読まれることはありませんでした。
その要因は「量が足りない」ことであるという結論に至り、彼はアルバイトを辞め生きている時間の全てを大喜利に費やし、1日で2,000個のボケを考えることを自らに課します。(1日2,000個というのは30秒に1つ考えても17時間弱。完全に狂っている)
少しでも良質なボケを思いつくためにお笑いDVDや映画を観て、図書館やブックオフで小説、詩集、漫画を読み漁るなど絶え間なくインプットしていきます。
すると結果がついてくるようになり、次第に彼の投稿は番組に読まれ始め、同時に狂気ぶりはどんどんと加速。
ついに5秒に1回のペースでボケを出せる域にまで達します。
とにかく、もっともっと加速したかった。
誰よりも速く、濃く、生きたい。
光の速さで生きて、一瞬で消えていきたかった。
こうなると彼はもう人間と言うよりボケの変換装置になってしまい、ある日他人から普通の会話の中で「なんで坊主頭なの?」と聞かれると、瞬時に
“ご近所におすそ分けしたので”
“父がサンプラザ中野、母が瀬戸内寂聴なので”
“顔面をたまに、ボウリング球として使用することがあるので”
などが浮かんでしまい、もはやまともな会話のキャッチボールができないまでになります。
最終的に彼はハガキ職人界で名が知れるようになり、吉本の劇場作家や有名お笑い芸人の構成作家になるチャンスも手にするのですが、対人コミュニケーション能力の問題などから破滅的な方向へ進んでしまいます。
本書を読むと僕らはこんな風に常に120%で魂を燃やしながら生きることができているだろうかと自問させられます。
僕は自分なりにクライミングに一生懸命取り組んでいるつもりですが、彼のお笑いに対する姿勢からすれば全然甘いというか比較にすらなりません。
僕らが感じている限界なんて、ツチヤタカユキにとっては限界でも何でもないのです。
彼のこの狂気じみた努力量をこなせる力は確実に特異な才能であり、こんなことは常人には絶対真似できないのはわかっているのですが、それでも悔しさみたいなものは残りますよね。
とにかくこの本は、ある物事に対する狂気的な熱量、人生を全て捧げる覚悟、やり切る姿勢、そういったものを読み手に見せつけ心に火をつけてくれるでしょう。
嘔吐
著者:J-P・サルトル、鈴木 道彦(訳)
ジャンル:文学、哲学
フランスの実存主義の哲学者であるサルトルが1938年に書いた小説であり、彼にとってかなり初期の作品です。
ずっと積読状態でしたが、手に取ってみると思っていたよりも読みやすくまた今自分が考えていることとリンクする箇所が多かったです。
まず実存主義について僕の理解を簡単に説明します。
例えばナイフは誰か人間が作ったものです。
そしてその「本質」は何かを切る事です。(違う用途もあるので正確には本質の一側面)
一方で人間に「本質」はあるのでしょうか。
我々が何者であるべきなのか、その「本質」は予め決まっているものではありません。
にも関わらず人間はこの世に現実的に存在します(実存する)。
このことをサルトルは「実存は本質に先立つ」と表現し、人間はまず「実存」し、そして我々が何者であるべきかやどう生きるかといった「本質」は後から自由に個人の選択に委ねられるのだと説いたのです。
これが実存主義の大まかな考えです。
(しかし今では「構造主義」などの観点から、人間は社会的な構造に支配されているため実存主義のように自由に選択ができるとは限らないという主張も強い。
このあたり『本当にわかる哲学』などが簡易にまとまっていてオススメ)
『嘔吐』の内容は実存主義が述べられているというよりは、その前段として物や人間がただ存在するということに気づく過程とその事実に対する絶望を書いた小説でしょう。
主人公のロカンタンはある時から、海辺の小石、他人のサスペンダー、鏡に映る自分の顔、木の根っこなどがそこに存在しているということにふと不快感や吐き気を覚えるようになります。
物が現在そこに存在しているということがその物の真の性質であり過去も未来もない、物はことごとく外見通りのものでありその背景には何もない、という絶望的な事実がロカンタンに吐き気を感じさせたのでした。
これは一見特殊な体験に見えますが、『嘔吐』を読んで僕は幼い頃に何度か同様の体験をしたことを思い出しました。
林間学校などで夜キャンプファイヤーをしている時に、炎を見てふとその炎という存在がそこにあることが不思議になる、今自分たちがいるこの場所が世界にあるという事実そのものが何か受け入れがたくなる。
隣にいる友人の顔を見ると見慣れているはずなのに人の顔として見えなくなって、ゆらゆら帝国ばりに「誰だっけ?」という気分に陥り、人間がただ意味もなくそこに存在するという不安、絶望、恐怖が襲ってくる。
一方で、『嘔吐』の中で存在の対極に位置付けられるのがロカンタンにとっての音楽や小説である「冒険」です。
ロカンタンは日々が絶望的な存在の連続だとしても、
本が書かれ、それが私の背後に残る瞬間が必ずやって来る。
そして本の多少の光明が、私の過去の上に落ちるだろうと思う。
と最後に気づき、本を書くことを決意し出かけます。
このラストはまさに僕にとっての岩登りのようだと感じました。
現在、そこに存在するだけの岩と人。
ただそこにある、ということ以外何の意味も持たない存在。
しかしその岩を登ることはある種の「冒険」であり、それは音楽を奏でたり小説を物語ることに等しいのです。
アルツハイマー征服
著者:下山進
ジャンル:ノンフィクション、脳科学
アルツハイマー病にまつわるサイエンスノンフィクションです。
アルツハイマー病の遺伝子をどうやって突き止めるか、治療薬の開発争い、どうやって治験を通すかの苦悩、などなど研究者や製薬会社の苦悩や情熱を中心に広く深く書かれています。
科学の知識があるとより楽しめますが、序盤で青森のりんご農家に代々伝わる家族性アルツハイマーの恐ろしさでグッと話に引き込み、日本と海外の研究が上手く繋がるようにドラマチックに場面転換がされたりと、見せ方がとても上手いのでノンフィクション好きの方であれば知識が無くても興味が惹かれるはずです。
またここまで1つの物事を多角的に調査し、専門知識も付けて、それぞれの話を有機的に組み合わせて良質なノンフィクションとして仕立てる著者のエネルギーに感銘を受けました。
こんな本を完成させることができたら気持ち良いだろうな。
メディアの支配者
著者:中川一徳
ジャンル:ノンフィクション、メディア
フジテレビ、ニッポン放送、産経新聞などの企業を傘下に持つフジサンケイグループの成り立ちや趨勢を描いたこちらもノンフィクションです。
学生の時にホリエモンこと堀江貴文氏に興味を持ちライブドア事件についてかなり調べたのですが、そう言えばライブドアによるニッポン放送の買収については自分自身あまり理解していないなと思い、まずはフジサンケイグループの歴史的背景が詳しく書かれている本書を読んでみました。
(ライブドア事件に関しては10年以上前に書いた「中学生にもわかるライブドア事件」という記事が未だに毎日アクセスを稼いでいるのですが、学生時代に書いた未熟な内容なので恥ずかしい、、、)
序盤は、創業者の鹿内信隆氏が如何にしてメディア三冠王と呼ばれるまでにこのグループを大きくしたのか、その時代においてメディアというものの権力がどれほど巨大なものだったかなどが描かれます。
個人的な最大の見どころは第2章の「クーデター 鹿内宏明 解任」です。
信隆氏の娘婿である宏明氏はフジサンケイグループの第3代議長という実質的なトップでしたが、現代表の日枝久氏らによるクーデターによって1992年に解任されます。
この解任劇の描き方が抜群に面白いです。
日枝氏と宏明氏のそれぞれの信念、周りの役員への根回し、奇襲、次の一手などの攻防が生々しく書かれていてまるでドラマを見ているようです。
僕自身もう少し勉強して、久々に「中学生にもわかるライブドアによるニッポン放送買収」的な記事を書いてみようかなという気になりました。
荒木飛呂彦の漫画術
著者:荒木飛呂彦
ジャンル:漫画論
『ジョジョの奇妙な冒険』の作者である荒木飛呂彦先生が、王道漫画を描くための方法論を記した一冊です。
最近ジョジョを一気読みしてブログに感想・考察を書いたのですが、その際に参考にした荒木先生関連の本で断トツで面白かったのが本書。
(参考:『ジョジョの奇妙な冒険』の世界線、科学モチーフ、哲学テーマの整理と考察)
細かな演出やテクニックまで書かれているのですが、一番参考になりそうだと思ったのが漫画の「基本四大構造」というフレームワーク。
「キャラクター」、「ストーリー」、「世界観」、そしてそれら全てが「テーマ」に繋がり、読者には絵として見えているというわけです。
<基本四大構造>
荒木先生は王道漫画に成り得るにはこの四大構造それぞれでどのような設定にして表現すべきかを語っていて、ジョジョという一見特殊に見える漫画もきちんと王道になるべくしてなっているということが見えてきます。
例えばキャラクターにはまず「何をしたいのか?」「なぜそのような行動を取るのか」という動機の設定が必要で、ここが曖昧だと読者は主人公に感情移入できません。
『ドラゴンボール』では悟空の動機は「どんどん強くなりたい」というシンプルかつ男子なら誰もが共感できるものであり、『ジョジョ5部』のジョルノならば「ギャングスタ―になる夢」という王道的な動機があるからこそ彼の「正義」や「信念」が読者にビンビンと伝わるわけです。
この四大構造のフレームで捉えるとジョジョはもちろんのこと『ドランゴンボール』や『スラムダンク』がなぜ王道的なのかがわかり、現代のジャンプ漫画では『鬼滅の刃』や『呪術廻戦』がまさに真っ向勝負の正統派な設定で王道街道を突き進みそれ故に大ヒットに繋がったのだと納得できます。
(鬼滅、ちゃんと読んでいないので違ったらすみません、、、)
一方でこの四大要素が必ずしも少年漫画の王道的設定ではなく、むしろあえて否定しているのが例えば『DEATH NOTE』であり、現代なら『進撃の巨人』や後述する『チェンソーマン』なのだと僕は理解しました。
『進撃の巨人』は来月で最終回を迎えるので、このフレームワークで何らか自分なりの考察を書くのも面白そう。
荒木先生の書いた本の中では他には『荒木飛呂彦の超偏愛! 映画の掟』も映画のサスペンス要素をジョジョに活かしている点などがわかり面白かったです。
藤本タツキ作品、ファイアパンチ、チェンソーマン、等
ジャンル:漫画
『ファイアパンチ』『チェンソーマン』とデビューから衝撃的な連載を次々に飛ばしている藤本タツキ先生。
ジャンプ+から過去の読み切りも全て読めますが、どの作品も他の漫画にはない魅力があります。
『ファイアパンチ』の第1話はあまりにカッコ良く衝撃的な展開に当時ネットを中心に話題になりましたが、今読んでも壮大な復讐劇の幕開けを感じさせる素晴らしい完成度。
あらゆる漫画の第1話でこれが一番キレている気がします。
しかし『ファイアパンチ』の特異なところは、魅力的なファンタジーの「世界観」の中、妹の復讐という読者が感情移入できる「ストーリー」で、正義を信じるチート級に強い不死身の主人公の「キャラクター」が際立つ、という王道的な設定を中盤からゴソっとひっくり返してくるところです。
途中から主人公は別のキャラの奴隷に成り下がり、メタ的な要素が入ってきて世界観もぶっ壊れ、皆が落ちるところまで落ちてしまう。
この急転換は荒木先生的な王道漫画の観点からは絶対にやってはいけない手法であるため『ファイアパンチ』では離れてしまった読者も多いと思いますが、その邪道的で強烈な違和感が僕には逆に新しく感じました。
沙村先生との対談でも藤本先生は、
「世間受けしないぞ」って意識しているから逆に世間受けしているみたいになっているかもしれません
僕の作品は、ひと通り漫画読んで飽きた人が読んでいる気がします
と語るように意図的に王道展開を外していることがわかります。
『チェンソーマン』に関しても、以下の「おませちゃんブラザーズ」のYouTubeに詳しいのでそちらを見て欲しいのですが、ジャンプの王道である「友情・努力・勝利」をあえてなぞらないのですよね。
<超人気作品『チェンソーマン』が面白い理由3選【徹底解説】>
ただ『ファイアパンチ』とは違って、「友情・努力・勝利」の真っ向否定というよりは、微妙にスカしている感じなのでその絶妙なラインがそれなりのボリューム層の読者にもウケているのかなと思います。
加えて、僕自身把握し切れてはいませんが、多用な漫画や映画作品からのオマージュや、映画のカットのようにセリフに頼らず一枚絵で状況やキャラクターの強さを見せるやり方などが独特で個人的には大好きですね。
<闇の悪魔の登場カット。絶望的な状況が説明せずに伝わる>
今期のオススメ本の紹介はこんな感じです。
また3か月後か半年後にきっと書きますね!
-
前の記事
ムーブ変更の可能性を捨てない 2021.03.18
-
次の記事
「強くなる」と「目標課題を登る」のジレンマ 2021.04.06