杉野保さんというクライミングの偉大な探究者、そして表現者
クライマーが影響を受けるもの、インスピレーションを得るものは何だろうか。
憧れのクライマーが目の前で登る姿だったり、カッコ良い映像だったり、たった1枚の写真だったり、色々とあると思う。
僕の場合それは文章や言葉であることが多い。
そして非常に残念で信じられないことだが、僕がクライミングに関することを書く上でも登る上でも多大な影響を受けた杉野保さんが昨日2020年3月5日に亡くなった。
事故の詳細はわからないが、おとじろうエリアにてルートのない海側への偵察中に転落したようだ。
(・CLIMBING-net:杉野保、城ヶ崎で墜落死
・雪山大好きっ娘。+:杉野保、伊豆・城ヶ崎で事故死)
杉野さんの業績は今更僕が語る必要もないだろう。
スプラッシュ、プラズマ火球、炎のメリーゴーラウンド 、Straight No Chaser、などスポート、トラッド、ボルダーに渡りこれぞという数々のラインを初登してきた。
ヨセミテでもノーズやサラテのワンデイ、そしてフリーライダーもテフロンコーナー以外のピッチはオールフリーしている日本が世界に誇る偉大なクライマーであった。
しかし杉野さんがそれ以上に後世に残したものはその情熱と論理が絶妙なバランスで詰まった文章だ。
自身のホームページでトラッドルートを解説した「魅惑のトラッド」。
『Rock & Snow』で連載をしていた、過去の埋もれた名ルートを掘り起こしチャレンジする「OLD BUT GOLD」や「Dig It」。
杉野さんの文章はクライミングへの飽くなき探求心と愛に溢れ、かつ明瞭に論理だって書かれていた。
特に冒頭の入り口の書き方がいつも好きだった。
たった1つのルートを説明するためにその歴史的背景などの高い視点からぐっと世界観に入っていく書きっぷりがまさに杉野節という感じで、ものすごいワクワクドキドキさせられた。
杉野さんの文章に出会わなければ、ここまでトラッドやビッグウォールに僕ら夫妻はのめり込んでいなかったと断言できる。
自分にとってターニングポイントとなったルートであるスーパーイムジンは何を隠そう杉野さんの文章がトライをするきっかけだった。
私的には小川山で間違いなくトップ3に入る好ルートである。
Rock&Snow 048
こう書いている今も、その持ちどころのない乾いたホールドの感触が蘇り、またそこに身を置きたくなる。
イムジン河のダイレクトフィニッシュ。
魅惑のトラッド
池田功不朽の名作ここにあり。
クライマーを自称するならこれは登っておかねばなるまい
ヨセミテにいったときも魅惑のトラッドを全ページコピーし何度も端から端まで読んで、とにかく杉野さんのクライミングを追体験するかのように登った。
僕ら夫妻にとって生涯忘れることのできないクライミングであるアストロマンも、杉野さんが、”世界でもっとも☆の多いと言われるルート “とべた褒めしていたことがチャレンジの大きな原動力になった。
他にも杉野さんのクライミングや、熱い魂が込められた文章に魅力を感じて僕が登ったルートは挙げればキリがない。
マリオネット、ブリザード 、そして杉野さん初登の炎のメリーゴーラウンド。
城ヶ崎で最も興味深いのは、フェイスムーブが主体になったクラックだと思う。
Rock&Snow 039「Dig It」
(中略)
ジャミングを交えた横引きのムーブや、柱状節理ならではの立体的な動きが加わり、それが前傾度に伴って複雑さと意外性を増す。
私が長い間、城ヶ崎に引かれ続けている理由はここにある。
花崗岩の純粋なクラックにも、前傾した石灰岩にもない、これこそ城ヶ崎独特の醍醐味である。
そして、ブリザードはまさにその結晶のようなルートであった。
直接きちんとお話したのは1回だけだが、その日は忘れられない。
瑞牆の末端壁でスクールをしていた杉野さんに僕が、
“いつも杉野さんの文章を読んでます。ありがとうございます”
と話しかけた。
すると、
“植田くんのブログも読んでいるよ。
もう僕はたくさん書くのはしんどいから、後を継いでよ”
と冗談まじりだが、こんなにも嬉しい言葉をいただけた。
これは僕の誇りだ。
言葉を書き、文章を表現発信していて本当に良かったと救われた日になった。
杉野さん、僕らにたくさんの情熱と叡智と挑戦する精神を残していただいてありがとうございました。
僕はこれからも登り続け、そして書き続けます。
では、また会う日まで。
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